■東京本邸 東京市麻布区笄町
=========================
■父 山田顕行 萩藩士
1823-1869
■母 熊野鶴子 熊野徳左衛門の娘
1812-1900
●男子 山田公章
●男子 山田顕義 初代伯爵
●男子 山田繁栄 3代伯爵→子は2代伯爵山田久雄
=========================
◆初代伯爵 山田顕義 司法大臣
1844-1892
パリで
1879年 37歳
■妻 井上龍子 井上馨伯爵の養女
1849年正
●長女 山田梅子 婿養子を迎え3代当主とする
=========================
◆2代 山田久雄 1代顕義の甥/山田繁栄の子
1871-1897
=========================
◆3代 山田繁栄 2代久雄の父/1代顕義の弟
1847-1906
■妻 河上梅子 士族河上繁完の娘
1845-1909
=========================
◆4代 山田英夫 会津藩主松平容保の子・婿養子になる
■前妻 山田梅子 1代顕義の娘・死別
1886-1812
■後妻 柳原宣子 柳原光邦子爵の娘
1887年生
●男子 山田顕貞 5代当主
●男子 山田貞夫
●女子 山田千代 実業家薩摩治郎八(通称バロン薩摩)と結婚
●女子 山田緑 財閥三井高孟と結婚
●1939年 山田緑 1920年生・159センチ・学習院出身・趣味は料理・スポーツ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■夫 薩摩治郎八 通称:バロン薩摩(ただし男爵の爵位は持っていない)
1901-1976
1976年
■前妻 山田千代 4代山田英夫伯爵の娘・1926年結婚・1949年死別
1907-1949
1928年
「カンヌで世界各国から集まっている自動車の運転をしている婦人達の美人投票が行われ、
千代夫人が見事同地一番の美人と折紙をつけられた」
■後妻 真鍋利子 ストリッパー秋月ひとみ・1956年再婚
1931年生
バロン薩摩は木綿王 薩摩治兵衛の孫。
1920年に英オックスフォード大学に留学。
毎月の仕送りは1万円(現在の3千万円)
2年後にフランスに移住してからは10年間で約600億円(現在)を使った。
1929年フランス政府がパリ国際大学都市に留学生の宿泊研修施設を作るよう各国に呼びかけたが、日本政府は日本は関東大震災による資金不足で断ったため、バロン薩摩が2億円(当時)を投じて「日本館」を建設させ、フランス政府からレジオンドヌール勲章が与えられる。
別名「薩摩館」
その後 実家は倒産したが第二次世界大戦中もフランスに留まり、1956年に帰国した時は無一文だった。
=========================
◆5代 山田顕貞 4代英夫の子
1909年生
■妻 鍋島福子 鍋島直庸子爵の娘
1914年生
●長男
●長女
=========================
■父 山田顕行 萩藩士
1823-1869
■母 熊野鶴子 熊野徳左衛門の娘
1812-1900
●男子 山田公章
●男子 山田顕義 初代伯爵
●男子 山田繁栄 3代伯爵→子は2代伯爵山田久雄
=========================
◆初代伯爵 山田顕義 司法大臣
1844-1892
パリで
1879年 37歳
■妻 井上龍子 井上馨伯爵の養女
1849年正
●長女 山田梅子 婿養子を迎え3代当主とする
=========================
◆2代 山田久雄 1代顕義の甥/山田繁栄の子
1871-1897
=========================
◆3代 山田繁栄 2代久雄の父/1代顕義の弟
1847-1906
■妻 河上梅子 士族河上繁完の娘
1845-1909
=========================
◆4代 山田英夫 会津藩主松平容保の子・婿養子になる
■前妻 山田梅子 1代顕義の娘・死別
1886-1812
■後妻 柳原宣子 柳原光邦子爵の娘
1887年生
●男子 山田顕貞 5代当主
●男子 山田貞夫
●女子 山田千代 実業家薩摩治郎八(通称バロン薩摩)と結婚
●女子 山田緑 財閥三井高孟と結婚
●1939年 山田緑 1920年生・159センチ・学習院出身・趣味は料理・スポーツ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■夫 薩摩治郎八 通称:バロン薩摩(ただし男爵の爵位は持っていない)
1901-1976
1976年
■前妻 山田千代 4代山田英夫伯爵の娘・1926年結婚・1949年死別
1907-1949
1928年
「カンヌで世界各国から集まっている自動車の運転をしている婦人達の美人投票が行われ、
千代夫人が見事同地一番の美人と折紙をつけられた」
■後妻 真鍋利子 ストリッパー秋月ひとみ・1956年再婚
1931年生
バロン薩摩は木綿王 薩摩治兵衛の孫。
1920年に英オックスフォード大学に留学。
毎月の仕送りは1万円(現在の3千万円)
2年後にフランスに移住してからは10年間で約600億円(現在)を使った。
1929年フランス政府がパリ国際大学都市に留学生の宿泊研修施設を作るよう各国に呼びかけたが、日本政府は日本は関東大震災による資金不足で断ったため、バロン薩摩が2億円(当時)を投じて「日本館」を建設させ、フランス政府からレジオンドヌール勲章が与えられる。
別名「薩摩館」
その後 実家は倒産したが第二次世界大戦中もフランスに留まり、1956年に帰国した時は無一文だった。
=========================
◆5代 山田顕貞 4代英夫の子
1909年生
■妻 鍋島福子 鍋島直庸子爵の娘
1914年生
●長男
●長女