直球和館

2025年

2024/02

銀座尾張町の邸宅を現在の一橋大学に寄付

永田町1丁目に5000坪を買い新居を建設

森清の代になってから、青山6丁目の3000坪の土地に移動


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◆初代子爵 森有礼 文部大臣
1847-1889 

*イギリスに留学

*暗殺

1870~1873年 ワシントンで
1001


1879年 34歳
0034a



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『牧野伸顕日記』※当時は宮内大臣

1922年12月13日
柳原伯爵家晩餐会に臨む。
去年来の柳原白蓮の問題解決の心祝いと認めたり。
柳原愛子わざわざ座をおり自ら手酌せらる。
雑談中黒田清隆伯爵の酒癖の事に及びたるに、ある年の宮中御陪食の折り、黒田伯爵と森有礼子爵との間にケンカ起こり、御宴席取り乱れたるため、両陛下の入御を願われたることありとの懐古談あり。
これは初めて聞き及びたり。
宮中の出来とて列席は口外せざりしものなるべし。
酒の上とは言い、乱心も甚だしきものなり。
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■前妻 広瀬常 士族広瀬冨五郎の娘・離婚
1855年生

*開拓使女学校を卒業した才媛。英語と漢文に堪能であった。

*初の洋装結婚式

*森の赴任で清国・イギリスで外交官夫人生活を送る。




森は常と結婚契約書を交わした。
しかしいかに森が新しい夫婦対等の関係を主張しても、現実の生活は古い因習を引きずった封建的な家そのものであった。
森は5人兄弟の末っ子であったが4人の兄が他界したため、木挽町の新居には鹿児島から呼び寄せた両親の他、長兄の妻や息子も同居していた。
まず常は「春江」と改名させられた。
父方の叔母が同名だったからだ。
戸籍名はそのままなので通称春江と呼ばれたのだろうが、通称を廃して実名だけにすべきだと主張してきた森の自論と明らかに矛盾する。
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<静岡事件>

明治19年6月、総理大臣伊藤博文に対する暗殺計画が発覚する。
一斉検挙された容疑者の中に常の実家の養子広瀬重雄がいた。
常は二人姉妹だったため、父は跡取りとして旧幕臣藪七郎左衛門の二男で新聞記者の藪重雄を養子に迎えていた。
妹福子は青山女学院を出た才媛で、常とともに美人姉妹として有名だった。
福子は明治屋創業者磯野計と結婚して妊娠中だったが、事件のショックで死亡する。
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■後妻 岩倉恒子/寛子 岩倉具視公爵の娘・伯爵有馬頼万と離婚・森有礼と再婚
1864-1943 

*再婚してわずか1年半で暗殺により森有礼と死別する




●前妻の子 森清 2代当主
●前妻の子 森英
●前妻の子 森安

●後妻の子 森明 牧師 徳川篤守伯爵の娘徳川保子と結婚


寛子夫人と明夫妻
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1939年 左から 明の娘綾子・明の子有正・男性・3代当主有剛・有剛の妻千代子と赤ちゃん
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森寛子←岩倉寛子

〔森有礼は〕洋装で大きなお身体、異人さんのような怖い方。
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『有馬頼寧日記』寛子夫人&前夫の子 

1927年10月17日
森のお母様の事につき相談。
今の屋敷を2万円ぐらいに買ってもらいたいとの話。
243坪ある由、負債総額は4万余円との事。
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関谷綾子 森明の娘

私が生まれた淀橋の家には三階建ての土蔵があって、祖母や母が嫁入り道具に持ってきた長持ちが何棹も収められておりました。
子供心にもはっきり記憶しているのは、祖母に見せられた長持ちの一つです。
そこには祖母森有礼が刺客に襲われた時に着用していた大礼服一式が入れてありました。
大量の血に染まった金モールをちりばめた大礼服で、一面に飛び散った血しぶきは年月を経るなかでどす黒く変色していました。
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◆2代 森清   1代有礼の子
1875-1928


■妻  松平淑子 子爵松平康民の娘
1880年生


●長男 森有剛  3代当主
●二男 森巌

●長女 森君子  樋口春光と結婚
●二女 森寿美子 前田敏夫と結婚
●三女 森恵美子


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◆3代 森有剛   2代清の子
1905年生


■妻  横山千代子 士族
1910年生


●長男
●長女

■東京本邸 東京市渋谷区千駄ケ谷
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◆初代子爵 三島通庸 警視総監
1835-1888 53歳没


■妻  柴山和歌子 士族柴山権助の娘・男爵森岡昌純と離婚・子爵三島通庸と再婚
1845-1924 79歳没


※妻妾同居・庶子多数のため主要な子供のみ


●長男 三島弥太郎 2代当主
●二男 三島弥二  豊沢弥二となる
●四男 三島弥吉  財閥村井吉兵衛の娘村井久子の婿養子になるが離婚
●五男 三島弥彦  子爵鍋島直柔の娘鍋島文子と結婚 オリンピック陸上選手
●男子 三島弥十二 岡弥十二となる

●長女 三島園子  外務官僚秋月左都夫と結婚
●二女 三島峰子  伯爵牧野伸顕と結婚
●三女 三島武子  素封家日高栄三郎と結婚
●四女 三島鶴子  伯爵日野資秀と結婚
●女子 三島千代  西村寅三と結婚
●女子 三島しげ  大学教授中村進午と結婚


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三島通庸の娘 牧野峰子 牧野伸顕伯爵の妻

世間ではお母様〔和歌子〕は大変きつい男のような人だと思っている人が多いけれどもそうではない。
お母様は夫のためにはもう自分の身というものはない人なんでございますから、ああいうきついことができます。
お父様が警視総監になられてから始終3人くらいの刺客が絶えず付き歩くのでございますからね。
夜の11時になると一人で仕込杖を持って怖いような樫の木の森を一回りお巡りになる。
朝お父様はぐるっと運動して歩く方。それをまたお母様はそっと後ろから付いてお歩きになる。
博覧会とか人の大勢出る所においでになると人が笑っても構わない、いかなる所にいらっしゃるにもお母様は付いていらっしゃる。
博覧会に何かございましたかと伺いましても御存知ない。
ただお父様のお身体だけを見ていらっしゃる。

三島は塩原で倒れて東京に運ばれる。

お立ちは3時頃でした。ちょうど雨がドッと降ってきた。
我々はみな馬車で行きましたが、お母様一人〔お父様の〕お籠のそばをお裸足でお歩きになった。
いくら「奥さん、あなたが死にますよ」と言われても「死んでもよろしい」とおっしゃって、足袋裸足ならまだしも本当の裸足でびしょ濡れになって仕込杖をついてお歩きになった。
鉄道局でも心配してくださって臨時汽車を出してくださった。
それへお父様をそっと寝かせて東京までお帰りになった。
お母様という方は居眠り一つならさらない。じっと汽車の中でも起きていらした。
帯というものはお解きになったことはありませぬ。60日の間お床を敷いてお休みになったことはない。
お父様がお亡くなりになったとき懐からお出しになったのは懐刀で、もうこれは要らなくなったとおっしゃった。
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三島通庸の孫 土方梅子 土方久敬伯爵の妻

祖父通庸が鬼県令と言われたころ祖母は刺客に備えて県庁への往復を短刀を持って見守ったと聞いておりましたが、私の小さい頃でも父の所へ政治向きのお客様がみえると、必ず小さい刀をすぐ抜けるように構えて応接間のドアの所にたたずみ耳を澄まして中の様子をうかがっていました。

穏やかな性格の夫に恵まれた母も嫁の立場としては人間関係の気苦労が多い家でした。
祖父通庸は12人の子供を遺して他界しましたが、3人は妾腹でした。
あるとき祖母が「お祖父様は何をしてお帰りになるか分からないから真っ先にお風呂にお入れして、それからでなければお食事も差し上げなかったよ」と申しましたら、母が「お祖母様、若い娘の前でそんな事をおっしゃるものではございません」と嗜めました。

牧野の叔母〔峰子〕などは「お祖母様はどの子供もへだてなくお育てになってお偉いわ」と申しておりましたが、子供の私の目から見ても一緒に住んでいた二人の叔父に対する扱いには格段の差がありました。
小さい頃はなぜだかわかりませんでしたが、一人は祖母の子もう一人は妾腹でした。

特に牧野伸顕と結婚した叔母は隣に住み、毎日のように祖母のいるお離れに来ておりました。
峰子と園子は鹿鳴館の花形で牧野伸顕は鹿鳴館で峰子を見初め是非にと言われましたが、二女ですから長女より先に嫁入るわけにはいかないと断りましたら、それでは自分の尊敬する先輩を紹介するからと秋月の叔父を園子に紹介し、二人の叔母の結婚が決まりました。
二人の叔母は学習院女子部第一回卒業生でしたが、牧野の叔母は鶴の一声という感じで同窓会を牛耳っておりました。
牧野伸顕も是非にと望んで結婚した叔母でしたが、その気の強さにはいささか困ったのではないでしょうか。
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宮武外骨『スコブル』1918年

「財産と結婚した冷飯男の離縁」
官界の酷吏であった三島通庸の四男弥吉という者が煙草成金村井吉兵衛の一子久子の入り婿になり村井家の相続人になっていたが、近頃家庭の紛争で離縁になった。
その原因は弥吉の女房久子が先年病没してのち養父吉兵衛が後妻として山茶花の局と称した官女あがりの日根野薫子を迎えたが、その薫子がしたたか者で一家をわがままにして弥吉の勢力を削ぎ、おのれが姪を弥吉の後妻に強いんとし、その他種々不快なことがあったので弥吉は離縁を要求して三島家に復帰したのであるという。
弥吉と久子の間に生まれた弘忠という6歳の長男が村井家の相続人になるという。

この家庭紛争の起こりは官閥と財閥との不自然結婚が第一の主因である。
子爵三島家の冷飯たる弥吉が商工業者たる村井家の財産に目がくれて入り婿になり、伯爵日根野家の老嬢が同じく素町人の成金に憧れて後妻になるなど、真情なき結婚の結果である。
ことに薫子は排他自尊の御殿女中根性が甚だしいので、事がここに至ったのである。
弥吉は自己の主義主張を牽制されるのが嫌だとか、結婚の自由までをも奪われるのは馬鹿げているので離婚を請求したのだと大言壮語しているが、彼にそんな立派な思想があるのならば初めから入り婿にはなるまいし、また元の裸百貫で帰るべきはずであるのに百数十万円の手切れ金をもらった汚い根性が見えすいているのみでなく、彼は養嗣子の身であるから現行民法上の特権として村井家の財産全部を奪って帰ることもできうるので、それをほのめかして大金を強奪したのであろう。
そんな次第でなく自ら儲けた金であるにしても、裸で入り婿になった者が数年の間にそれほどの大金を儲け得たのは村井家の財産が根底である。
あまり大きなことは言えないぞ。
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1918年「圧制県令三幅対」
5500



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◆2代 三島弥太郎 1代通庸の子
1867-1919 51歳没


■前妻 大山信子  公爵大山巌の娘・離婚
1877年生

*徳富蘆花『不如帰』浪子のモデル


■後妻 四条加根子 公爵四条隆謌の娘
1873年生


●長男 三島通陽 3代当主
●二男 三島通隆 越英之介の娘隆子と結婚

●長女 三島寿子 子爵阪谷希一と結婚
●二女 三島梅子 伯爵土方久敬/演出家土方与志と結婚


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三島弥太郎の娘 土方梅子 土方久敬伯爵と結婚

祖母に「『不如帰』にはお祖母様はとっても意地悪だと書いてあるそうよ」と申しましたら、「そうだってね。あれは慈恵医大病院長の高木兼寛博士が『大山元帥の長女に良いお嬢さんがいらっしゃるから弥太郎どんのお嫁さんにどうか』と言われたので、健康な方かとお尋ねしたらそうだとおっしゃるから安心して来ていただいたんだよ。
そうしたら間もなく肺結核になってしまって」と話しました。
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大村光子 四条隆英男爵の娘・大村泰敏子爵の妻

加根子様は本家から来て御見識がおありになったもので、〔分家の四条男爵家へ〕いちいち口が入ってきました(笑)
とてもしっかりしたおば様でした。
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◆3代 三島通陽  2代弥太郎の子 劇作家三島章道 
1897-1965 68歳没

*フランスに留学


■妻  松岡純子  男爵松岡均平の娘
1901年生


●長女 三島昌子  婿養子を迎え4代当主とする
●二女 三島謹子  向山金雄と結婚
●三女 三島美弥子 八馬汽船八馬啓と結婚


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◆4代 三島義温 伯爵平田栄二の子・婿養子になる
1914-2009 95歳没


■妻  三島昌子 3代通陽の娘


●長男
●長女

◆初代子爵 三島通庸 警視総監
1835-1888 53歳没

1879年 46歳
0046f



■妻  柴山和歌子 士族柴山権助の娘・森岡昌純男爵と離婚・三島通庸と再婚
1845-1924 79歳






※妻妾同居・庶子多数のため主要な子供のみ


●長男 三島弥太郎 2代当主
●二男 三島弥二  豊沢弥二となる
●四男 三島弥吉  財閥村井吉兵衛の娘村井久子の婿養子になるが離婚
●五男 三島弥彦  鍋島直柔子爵の娘鍋島文子と結婚 オリンピック陸上選手
●男子 三島弥十二 岡弥十二となる

●長女 三島園子  外務官僚秋月左都夫と結婚
●二女 三島峰子  牧野伸顕伯爵と結婚
●三女 三島武子  素封家日高栄三郎と結婚
●四女 三島鶴子  日野資秀伯爵と結婚
●女子 三島千代  西村寅三と結婚
●女子 三島しげ  大学教授中村進午と結婚


1887年 伊藤博文の首相官邸での仮装パーティー 左:三島園子 右:三島峰子
2303



●三島弥吉 財閥村井吉兵衛の娘村井久子の婿養子になるが離婚
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●三島弥彦 鍋島直柔子爵の娘鍋島文子と結婚 オリンピック陸上選手 



●三島峰子 牧野伸顕伯爵と結婚 1889年
2301



●三島鶴子 日野資秀伯爵と結婚
1051



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◆2代 三島弥太郎 1代通庸の子
1867-1919 51歳没




■前妻 大山信子  大山巌公爵の娘・離婚
1877年生

*徳富蘆花『不如帰』浪子のモデル

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■後妻 四条加根子 四条隆謌公爵の娘
1873年生




●長男 三島通陽 3代当主
●二男 三島通隆 越英之介の娘越隆子と結婚

●長女 三島寿子 阪谷希一子爵と結婚
●二女 三島梅子 土方久敬伯爵/演出家土方与志と結婚


左:通隆 中:梅子 右:通陽
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左:三島梅子 右:三島通陽
1013



●三島寿子 阪谷希一子爵と結婚



●三島梅子 土方久敬伯爵/演出家土方与志と結婚



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◆3代 三島通陽 2代弥太郎の子 劇作家三島章道 
1897-1965 68歳没

*フランスに留学


■妻  松岡純子 松岡均平男爵の娘
1901年生

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●長女 三島昌子  婿養子を迎え4代当主とする
●二女 三島謹子  向山金雄と結婚
●三女 三島美弥子 八馬汽船八馬啓と結婚


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◆4代 三島義温 平田栄二伯爵の子・婿養子になる
1914-2009 95歳没


■妻  三島昌子 3代通陽の娘
1920年生


■1939年 三島昌子 155センチ・学習院出身・趣味は英語・日本舞踊・スキー
0090



●長男
●長女

◆初代子爵 曽我祐準 陸軍中将
1844-1935 91歳没

1879年 38歳
0038


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1138(1)



■妻  華園晟子 仏職華園摂信の娘・公家裏辻公愛と離婚・曽我祐準と再婚
1850年生 

1138(2)



1871年2月、華園摂信の娘晟子20歳は公家裏辻公愛50歳と結婚する。
しかし30歳も年上の裏辻には、すでに妾との間に2歳から12歳までの4人の庶子があった。
結婚して4年後の1875年3月、妾との間にさらに男子が産まれた。
父摂信は娘晟子に「当方御可給にてもよろしく婦道を守るを善とす」と忍耐を促す手紙を送った。
摂信は裏辻に度重なる借金の連帯保証人になってもらっていたからである。
1876年8月裏辻は単身上京、晟子は実家で暮らすという別居生活が始まった。
摂信は「妾はめでたく暇遣になり候」と喜んだが、1877年に摂信自身が死んでしまう。
1878年、裏辻は摂信の借金の連帯保証人になっていたため破産する。
さらに1882年には政治に手を出して逮捕される。
晟子は裏辻の子を産むことなく離婚して、曽我祐準子爵と再婚できた。

華園信暁は京都府士族神原タツを妾にしていたが、分家が認められ一戸を構えることができたので、東坊城任長子爵の娘成子と結婚した。


●男子 曽我祐邦 1870年生 2代子爵
●男子 曽我祐光 1880年生

●女子 曽我満子 1874年生 軍人立花銑三郎の前妻
●女子 曽我遼子 1876年生 軍人立花銑三郎の後妻

●養女 曽我龍江 1897年生 西徳寺渋谷達性の実娘 東京女子師範学校附属出身
煙草王江副廉蔵の子江副隆一と離婚・東三条実敏男爵と再婚


●養女 曽我龍江 煙草王江副廉蔵の子江副隆一と離婚・東三条実敏男爵と再婚
1138(3)



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国民新聞 1916年4月6日

「新婚の曽我子爵令嬢 花婿江副隆一氏の懺悔を聞きて」
かねて婚約ありたる曽我祐準子爵の令嬢滝江嬢(20)と紳商江副廉蔵氏の令息隆一氏(29)との結婚式は、去月31日日比谷太神宮に挙行され、披露の宴また同夜華族会館において催されたのであった。
爾来日を経ることわずか3日、意外にも新夫婦破鏡の噂を耳にするに至った記者は、
まず江副家に質したるに「主人は病臥中、それに只今どなたもお留守なれば一切分からず」と言う。
さらに曽我家に質せば「令嬢を引き取りしは事実なり。事情は追って発表の期あるべし」とのことに、破鏡の事実なることだけは確かめ得たるより、さらにその事情を各方面に精探したるところ、ここに不徳義な婚約の悲劇が伏在しているのであった。

新郎新婦の婚約がまとまり結納の取り交わされたのは去年2月下旬のことで、当時新郎隆一氏は腸を患い東京病院に入院中とのことなりしより、その全快を待っていよいよ去月31日に華燭の典を挙ぐるに至ったのであるが、式も滞りなく済み披露の宴を致し新郎新婦ただ二人相対の刻となるや、隆一氏は新夫人に向かい、
「過日腸チフスの為に入院中と称せしは虚言にて、慢性淋病なれば結婚の実行はここ12ヶ月猶予されたし」と深く秘めたる徳義上の罪を懺悔したのであった。
滝江嬢の驚愕はいかばかりであったろう。悶々の間に一夜を明かして、開くれば4月1日も終日途方に暮れ、当夜もまた懊悩に一睡だにもせず、かくて2日の午後実家曽根子爵邸への里開きの為に来たのであるが、新郎の秘密はいまだ胸一つに包みて露更に口外しなかった。

同夜子爵邸にては里開きの盛宴が開かれ、一族近親の喜びに夜もいたく更けて、午後11時頃にようやく子爵邸のどよみは静まった。
その時龍江嬢は付き添いの老女に初めて隆一氏の秘密を打ち明けて、身の応置を相談に及んだのである。
老女はただちにこれを老子爵に訴えた。
そしてともかく当夜は一旦滝江嬢を江副家へ返し、翌3日午前中協議の末同日午後子爵自ら電話口に出て、滝江嬢を引き取るとともに今回の婚嫁をも取り消す旨厳重に通じたのであった。
こうして玲瓏の珠玉は微瑕なくして父子爵の掌中に復ったのであった。
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宮武外骨『地獄耳』1917年

「古今無類の再婚女子」
子爵曽我祐準の愛嬢龍江(21)が、煙草成金江副廉造の長男隆一と結婚の約が成立して、昨年3月31日 日比谷の大神宮で結婚式を挙げ、同夜華族会館で披露の宴を催し、龍江嬢はめでたく江副家へ輿入れしたが、床入りとなって後、夫隆一は猛烈な慢性淋病で夫婦の交わりをすることができず、12ヶ月間辛抱してくれと言ったので、龍江嬢が失意煩悶しているうち、そのことを知った父祐準氏は大いに怒って、3日目に龍江嬢を呼び戻しついに離縁となったが、龍江嬢はその後 男爵東三条実敏氏と婚約が調い、今7月1日麻布の出雲大社で結婚式を挙げ、同夜築地の精養軒で披露の宴を催した。

龍江嬢は日比谷の伊勢大神宮出張所は縁起が悪かったので、再婚の式は麻布の出雲大社出張所で執行した。
今度は無事に納まるであろう。
由来伊勢の大神は縁結びの神様ではなく、縁結びは出雲の神様に限るのである。
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『牧野伸顕日記』内大臣※当時は宮内大臣

1923年12月12日
久保田男爵来訪。
「宮中顧問官曽我祐準子爵突然退引辞職の決意申出あり。種々の関係上引き留め方に議長等心配中なり。あるいは爵位の方も隠居の願出あるも計りがたしにつき、万一左様のことあらばしばらく握りおりくれ」とのことなり。
別に深き動機あらざるがごとく、震災のため本邸焼失、精神も打撃を受け、全然熱海に退引きいたしたしとの希望に他ならざるがごとし。
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◆2代子爵 曽我祐邦 初代子爵曽我祐準の子
1870-1952 82歳没


■前妻 松園晃子 松園尚嘉男爵の娘・死別
1876-1930


■後妻 多屋タミ 多屋寿平次の娘
1890年生


●男子 曽我祐文 1899年生
●男子 曽我祐虎 1902年生
●男子 曽我準和 3代当主
●男子 曽我準定 1911年生 稲葉良太郎の娘稲葉文子と結婚

●女子 曽我清子 1901年生 学習院出身 貴族院議員金杉英五郎の子金杉恒弥と結婚
●女子 曽我盛子 1904年生 学習院出身 友田二郎と結婚
●女子 曽我友子 1907年生 樋口助弘と結婚


左から 清子・前妻晃子夫人・後ろ祐文・前は準定・曽我祐邦・盛子・準和
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◆3代 曽我準和 2代祐邦の子
1905年生


■妻  平瀬郁子 平瀬又雄の娘
1911年生


●女子 曽我春子 1938年生 川原敏雄と結婚


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◆4代 曽我準雄 3代曽我準和の孫/曽我春子の子


■妻  名取メグミ 名取寛二郎の娘

■東京本邸 麹町区上二番町
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■那須別邸 新築祝いにドイツ政府から贈られた4頭の鹿を放牧した
2001


2000


2014


2016


2003



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◆初代子爵 青木周蔵 三浦玄明の子・婿養子になる 外務大臣
1844-1914 69歳没



2021


1879年 37歳
0037a


ベルリンで
2018


2020





■前妻 青木テル 青木周弼の娘

医師青木周弼の娘テルと結婚して、周弼の弟で医師青木研藏の養子となり、青木周蔵と改名する
ドイツに留学中エリーザベトと恋愛関係となったため妻とは離婚


■後妻 エリーザベト・フォン・ラーデ・フンケンハーゲン ドイツ貴族






●女子 青木ハナ ドイツ貴族アレクサンダー・グラフ・フォン・ハッツフェルト・トラヘンベルク伯爵と結婚


ハナの娘ヒサ
2019



青木周蔵は前妻テルと結婚後、ドイツに留学する。
そこで後妻となるエリーザベトと恋愛関係になり、テルと別れてエリーザベトと一緒になるつもりで日本へ連れて来る。
しかし親族会議で大反対される。
そこで周蔵はテルには自分が新しい結婚相手を見つけた上、結納金を払うことで離婚を認められる。
親族会議では他に、エリーザベトとの間に生まれたハナに家を継がせないこと、後継ぎは青木家親族の中から男子を養子にすることなどが決められた。
ちなみにテルの再婚はなかなかうまくいかず、周蔵は3回結婚を世話して3回結納金を支払っている。
エリザーベトは青木と死別後ドイツに帰国する。


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木戸孝允から青木周蔵への手紙

1875年5月3日
御旧温〔前妻テル〕どうにか再嫁の都合もでき候かの由。
ついては御付与の金高うけたまわりたくとのことにござ候。
しばしばの催促につき出過ぎがましくは候らえども、5百~6百両ぐらいは大方御付与にもなるべきかと申し越しおき候。
もらい手も必ず土産を目的にこれあるべく、彼〔テル〕この時期を失し、もらい手もこれなく、ますます老境に至られ候ては、再嫁などと申すことも難しくこれあるべく、兄〔周蔵〕の美細君と比翼連理のお楽しみを朝夕指をくわえて羨まれ恨まれ候ても、なかなか500両や600両にかえられ候ことにはこれあるまじき。
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木戸孝允から青木周蔵への手紙

1875年12月18日
兄〔周蔵〕の御趣向〔エリザーベトとの結婚〕も至極御同意候えども、もしも御両親方【こけっけいこけっけい】〔鶏がうるさく鳴く様子〕と申すようの御形容ござ候てはと、少々御気遣い申し候えども、至って御落着よろしく候間、弟〔木戸〕も安堵つかまつり候。
うけたまわり候えば、新細君御出生の地方はよほど大人種のところと申すことに候。
ここにおいて良いかな青蛇先生とますます降伏つかまつり候。
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井上馨から木戸孝允への手紙

1877年4月6日

青木子爵も婚姻候よし申し来る。
定めて当節は黒白はげしく戦争中とうらやましく存じ奉り候。
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青木周蔵から前妻青木テルへの手紙

1906年3月
御手前事今般自己の希望により金枝義恵氏と結婚いたされたしとのことに候間、拙者は戸主として同意を表し候えども、およそ女子たるもの再三離婚および結婚することは、当人たる御手前においてはもとより論なく、戸主ならびに親族にとりても甚だ不名誉のことに候条、今般入嫁され候のちはなるべく言語および行為を慎み、夫金枝氏の指揮監督に服従し、その遺志にもとらずして一生を終わるまでめでたく御連添なされたく候。
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アメリカの青木周蔵から前妻青木テルの妹山根ヨネへの手紙

1907年6月13日
テルは金枝方へ参り候のち、とかく奇行めきたる身持ちいたし候ゆえ、金枝よりたびたび離縁のことを申し出し云々。
金枝へは一日も差し置くわけになりがたく、彼の世話人その他の者もテルの精神健全ならざることを発見いたし候。
テルは老拙にとりては深き義理ある人にもこれあり、かつ御先祖に対し決して粗末なる取り扱いはいたさざる覚悟に候えども、狂人とあいなる上は致し方これなき候。
千万々々不憫と存じ候。
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ドクトル・ベルツの日記

ハナ嬢は感じのよい、すこぶる美しい娘さんで、完全にヨーロッパ式の教育を受けている。
彼女は家庭ではドイツ語しか用いられていないにもかかわらず、遺憾ながら英語を偏愛しすぎている。
「ドイツ語よりも英語をしゃべる方が、ずっと楽でたやすい」と彼女は私に言った。
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■青木直介 青木周蔵の甥・三浦泰輔の子・養子となるが離籍


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◆2代 青木梅三郎 子爵杉孫七郎の子・養子になる
1873-1941


■妻  福原フミ  軍人福原信蔵の娘
1885年生


●長男 青木重夫  3代当主
●二男 青木盛夫  外務官僚杉村陽太郎の娘杉村和子と結婚
●三男 青木韶夫  政治家佐々木千秀の娘佐々木昌子と結婚
●四男 青木幹夫
●五男 青木周夫  政治家佐々木千秀の娘佐々木淑子と結婚

●長女 青木田鶴子 外務官僚吉岡範武と結婚
●二女 青木多嘉子 伊藤謹一郎と結婚
●三女 青木寿美子 法務大臣高辻正己と結婚


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◆3代 青木重夫 2代梅三郎の子
1904年生


■妻  荒木和子 荒木和一の娘・ピアニスト
1911年生


●男子 青木周光 4代当主


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◆4代 青木周光 3代重夫の子


■妻  寺田桂子 寺田善助の娘


●長男
●二男

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