2025/03
中島錫胤男爵家 知事
岡内重俊男爵家 官僚
◆初代男爵 岡内重俊 裁判官
1842-1915
1879年 39歳
■妻 北村源子 北村実作の娘
1861年生
●長男 岡内重清 2代
●長女 岡内フク 1870年生 衆議院議員大浜忠三郎と結婚
●三女 岡内寿子 1882年生 衆議院議員松本君平と結婚
=========================
◆2代 岡内重清 1代重俊の子
1884年生
■妻 井上京子 井上幹造の妹
1885年生
●長男 岡内重寿 3代
●二男 岡内重信
●長女 岡内俊子 1921年生
=========================
◆3代 岡内重寿 2代重清の子
1911年生
■妻 上島寿賀子 大華電気冶金社長上島慶篤の娘 東京家政学院出身
1918年生
●長女
■1939年 上島寿賀子 158センチ・趣味はピアノ・洋裁
1842-1915
1879年 39歳
■妻 北村源子 北村実作の娘
1861年生
●長男 岡内重清 2代
●長女 岡内フク 1870年生 衆議院議員大浜忠三郎と結婚
●三女 岡内寿子 1882年生 衆議院議員松本君平と結婚
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◆2代 岡内重清 1代重俊の子
1884年生
■妻 井上京子 井上幹造の妹
1885年生
●長男 岡内重寿 3代
●二男 岡内重信
●長女 岡内俊子 1921年生
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◆3代 岡内重寿 2代重清の子
1911年生
■妻 上島寿賀子 大華電気冶金社長上島慶篤の娘 東京家政学院出身
1918年生
●長女
■1939年 上島寿賀子 158センチ・趣味はピアノ・洋裁
堤正誼男爵家 官僚
◆初代男爵 堤正誼 宮内官僚
1834-1921
1879年 47歳
■妻 市橋ツネ 士族市橋環蔵の娘
1847年生
●男子 堤寿 →子は2代当主堤正之
●男子 堤健三 村井長寬の娘村井ハルと結婚
●男子 堤武雄
●長女 堤テル 増田礼作と結婚
●二女 堤タマ 士族佐々木忠次郎と結婚
●三女 堤コト 士族丸田秀実と結婚
●四女 堤ヨシ 弁護士岡村輝彦と結婚
●六女 堤照子 侯爵佐々木高行の子佐々木高志と結婚
●七女 堤サダ 海軍南郷次郎と結婚
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■夫 堤寿 1代正誼の子
1869年生
■妻 加藤サヨ 士族加藤恒の娘
1883年正
●長男 堤正之 2代当主
●男子 堤新三
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◆2代 堤正之 1代正誼の孫/堤寿の子
1903-1936*ピストル自殺
■妻 西安芸 海軍軍医西勇雄の娘
1907年生
●男子 堤正治 3代当主
●長女 柴田美枝子
●二女 長瀬千代子
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『高松宮日記』
6月27日
堤正之少佐、今朝9時自宅で自殺したと聞く。
昨日も平常通り学校に来ていて、今日も午前自宅作業で午後学校に行くと言っていた由。
家族の人が昼食を聞きに二階の室へ行き発見せりと。
自殺はピストルで胸に四発ほど発射している。
即死なり。
簡単な遺書といってもその場で書いたもの。
「誰々に知らせ、(将来の修養に行き詰ったと思わせる)非常時に軍人としての責任にたえられぬ」と言った意味のことあり。
そう言えば最近言葉少なく、思い込むといっても一般の陰気な型とは違う程度であったとも思えた。
寺本少将の話によれば、4月だったか「自分はどうしても忠君愛国の感情が燃えてこない。どう努めても思うように出ない」とて相当意気込んで尋ねた由。
それに対して「例えば大楠公の事蹟を常に考えて、それに照らし合わせて自分の行為を考えよ」と教えた。
事後自宅に行ってみたら、観心寺の「非理方憲法権天」の軸が目立たぬ所にかけありし由。
それで祖父が非常な勤皇家にて、それに近からんとして科学的な教育による本人がどうしても気分が出ぬという煩悶ならんと。
修養ではあるまい。
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◆3代 堤正治
1930年生
■妻
●長男
●二男
1834-1921
1879年 47歳
■妻 市橋ツネ 士族市橋環蔵の娘
1847年生
●男子 堤寿 →子は2代当主堤正之
●男子 堤健三 村井長寬の娘村井ハルと結婚
●男子 堤武雄
●長女 堤テル 増田礼作と結婚
●二女 堤タマ 士族佐々木忠次郎と結婚
●三女 堤コト 士族丸田秀実と結婚
●四女 堤ヨシ 弁護士岡村輝彦と結婚
●六女 堤照子 侯爵佐々木高行の子佐々木高志と結婚
●七女 堤サダ 海軍南郷次郎と結婚
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■夫 堤寿 1代正誼の子
1869年生
■妻 加藤サヨ 士族加藤恒の娘
1883年正
●長男 堤正之 2代当主
●男子 堤新三
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◆2代 堤正之 1代正誼の孫/堤寿の子
1903-1936*ピストル自殺
■妻 西安芸 海軍軍医西勇雄の娘
1907年生
●男子 堤正治 3代当主
●長女 柴田美枝子
●二女 長瀬千代子
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『高松宮日記』
6月27日
堤正之少佐、今朝9時自宅で自殺したと聞く。
昨日も平常通り学校に来ていて、今日も午前自宅作業で午後学校に行くと言っていた由。
家族の人が昼食を聞きに二階の室へ行き発見せりと。
自殺はピストルで胸に四発ほど発射している。
即死なり。
簡単な遺書といってもその場で書いたもの。
「誰々に知らせ、(将来の修養に行き詰ったと思わせる)非常時に軍人としての責任にたえられぬ」と言った意味のことあり。
そう言えば最近言葉少なく、思い込むといっても一般の陰気な型とは違う程度であったとも思えた。
寺本少将の話によれば、4月だったか「自分はどうしても忠君愛国の感情が燃えてこない。どう努めても思うように出ない」とて相当意気込んで尋ねた由。
それに対して「例えば大楠公の事蹟を常に考えて、それに照らし合わせて自分の行為を考えよ」と教えた。
事後自宅に行ってみたら、観心寺の「非理方憲法権天」の軸が目立たぬ所にかけありし由。
それで祖父が非常な勤皇家にて、それに近からんとして科学的な教育による本人がどうしても気分が出ぬという煩悶ならんと。
修養ではあるまい。
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◆3代 堤正治
1930年生
■妻
●長男
●二男