直球和館

2025年

2025/09

◆初代男爵 奥田義人 鳥取県士族奥田鉄蔵の子 司法大臣・文部大臣
1860-1917


■妻  武井ヤエ 兵庫県士族武井正平の娘
1868年生


●長男 奥田剛郎 1888年生 2代男爵
●二男 奥田成孝 1902年生 福田正弘の姉福田恒子と結婚
●三男 奥田正博 1904年生

●長女 奥田咲子 1892年生 松平忠寿子爵と結婚
●二女 奥田龍子 1895年生 貴族院議員和田彦次郎の子和田正彦と結婚
●三女 奥田文子 1898年生 学習院出身 日本銀行重役野呂一雄と結婚
●四女 奥田博子 1900年生 衆議院議員浜本義顕の子浜本義賢と結婚


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宮武外骨『スコブル』1917年6月

今度『学生論』というのを著して公刊した奥田義人は、前司法大臣・現東京市長、法学博士と言えば立派だが、法科大学時代には教師に反抗したり窓ガラスを破壊するなどの乱暴で、一時退学処分を受けた男である。
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宮武外骨『スコブル』1917年6月

「東京電燈問題」
財閥党の一人たる東京市長奥田義人が、電燈会社の重役等と結託うえ電燈整理責任案というのを出して市民を瞞着し、追っては自己等の私腹を肥やさんとする不埒な魂胆がある。
しかるに東京の諸新聞雑誌がこれに痛撃を加えないのは、いずれも財閥に因縁情実を有する点もあるが、主として市会議員の小泉策太郎が諸新聞記者を買収して反対意見の発表を抑止しているからである。
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宮武外骨『地獄耳』1917年7月

東京市長奥田義人の電燈案は去7月10日の東京市会で、反対派からの罵詈怒号を浴びながら横暴の可決を遂げた。
東京市の電燈問題は奥田市長が財閥党の私利を計る私案の如く、醜劣な多数議員を糾合してついに可決せしめるに至ったが、内務大臣後藤新平・大蔵大臣勝田主計の両大臣もやはり同穴と見るべき筋の者であるから、日ならず認可するであろう。
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宮武外骨『地獄耳』1917年8月

東京市長奥田義人は例の電燈案が通過したので箱根温泉にしゃれ込んでいるうち腸カタルを起し、自宅に帰って療養中だが、昨今は肝臓炎をも併発して苦しんでいるという。
新聞屋は「電燈整理案のために心配して無理に身体を使い、健康を害したるものなり」と報じていた。
それはそうだろう。
昔から盗人は長生きできぬものに決まっている。
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宮武外骨『地獄耳』1917年

財閥の走狗奥田義人が死んだ後 東京市長の後任者はまだ決定しないが、どうせロクな奴は出まり。
上には姑根性の牽制者多く、下には党派心・利己心強い悪漢議員いわゆる鬼千匹の小姑が多い東京市。
しかも選考委員という奴が自己等の陰謀奸策に同意すべき都合の良い者を引き出そうとするのであるから、気の利いた人が市長になるはずがない。
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宮武外骨『地獄耳』1917年

奥田義人が男爵に叙せられた際 読売新聞記者に「奥田は国家に如何ような勲功があったのか」と尋ねると、「国家のことは知らないが、親分たる伊東巳代治には大なる功労があったものだ。巳代治が女中に孕ませたことは二度や三度ではないのだが、その都度奥田に処分を命ずると、奥田はその親元に対して『子ぐるみ引き取るならば一時金千円もらってやる。月手当を望むならば子供の生存中は毎月30円もらってやる。子供を伊東家に渡して去るならば500円もらってやる』というふうにいわゆる奥田案を提出するので、親元との交渉は造作なく結了する。巳代治はこれを嬉しく感じていたのみでなく、自分が大株主たる東京電燈庇護案を東京市会に通過せしめてくれたため、相場で莫大な利益を占め得られた殊勲もあったので、臨終に取り急いで男爵奏請の運動をしたのだ」と。
当今はこんな筋合いで華族になるのが多いのである。
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国民新聞 1917年

奥田義人男爵はかつて「市長は想像以上の大金を要する。大臣でも年俸の倍額あれば事は足りるが、市長はそれ以上で3~4万円の俸給でなければ務まらない」と言った。
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◆2代男爵 奥田剛郎 初代男爵奥田義人の子
1888-1981


■妻  杉山美喜 知事杉山四五郎の娘
1897年生


●長男 1923年生

●長女 1917年生 学習院出身
●二女 1920年生 学習院出身

◆初代男爵 平賀譲 広島県平賀百左衛門の子 造船学者・東大学長
1878-1943


■妻  原カズ 福島県原作蔵の娘
1881年生


●長男 平賀謙一 2代当主
●二男 平賀重孝

●長女 平賀道子 東京府第六高女出身 兵庫県辰馬俊夫と結婚
●二女 平賀好子 川村女学校出身 サントリー社長佐治敬三と結婚


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◆2代 平賀謙一 1代譲の子
1910年生


■妻  実吉テル 実吉純郎男爵の娘
1917年生

◆初代男爵 白川義則 愛媛県白川親応の子 陸軍大将
1869-1932


■妻  北川タマ  広島県 北川精一の娘
1876年生


●長男 白川義正  2代当主
●二男 白川義直
●三男 白川元春
●四男 白川浩

●長女 白川キヨ 1900年生 広島女学校出身 三井社員本田道之と結婚
●二女 白川ハマ 1904年生 三輪田女学校出身


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◆2代 白川義正  1代義則の子
1909年生


■妻  永野道子  衆議院議員永野護の娘


●長女
●二女

◆初代男爵 大森鍾一 幕臣大森直正の子 皇太后宮大夫
1956-1927


■前妻


■後妻 長齢子  漢学者長三州の娘 学習院出身
1870年生


●長男 大森佳一 1883年生 2代男爵
●三男 大森雅助 1891年生 伏谷雅助となる

●長女 大森貞子 1886年生 知事中川望と結婚
●二女 大森信子 1898年生 知事池田宏と結婚
●五女 大森幸子 1903年生 知事児玉九一と結婚
●六女 大森ミツ 1905年生 学習院出身 文部官僚永井浩と結婚
●七女 大森明子 1906年生 学習院出身 知事重成格と結婚


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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

大森鍾一氏が貞明皇后宮大夫に任官することになった時、元侍従長徳大寺実則が、
「ほう、大森が皇太后大夫になったのか!惜しい人物が大正になってから入ってきたものだね。直接には知らないのだが、なかなかしっかりした人物だそうだよ。どうせ入るなら私がいる時に入ってくれればよかったのになあ!」と言われた。

大正天皇が皇太子時代に宮津に行啓になったことがあった。
そのとき京都知事だった大森氏が御先導申し上げたのであるが、大正天皇は非常におみ足がお早い。
しかし大森氏はでっぷりと肥満していて、足の運びが遅いのである。
大森氏はやりきれなくなり、郡長に御先導を命じて入れ替わってしまった。
それで大正天皇が笑って「大森、疲れたのか」とおっしゃったところ、
「決して疲れはしませんが、知事の私一人が御先導申し上げては光栄に堪えません。この光栄を郡長にも分けてやったのでございます」と平然とお答えした。
この噂はたちまち広がり、徳大寺氏の耳にまで入っていたのである。

大森大夫は赤ら顔のよく肥った堂々たる恰幅の人物で、いかにもさばけた人物で少しも上下のへだてを置かなかった。
ある夏のこと、浴衣の着流しで官邸に出入りしているところを皇后宮職の職員に見つけられてしまった。
翌日「官邸に浴衣で出入りするとはもってのほかだ。今後は気をつけるように」と注意されたのである。
大森大夫にその話をすると、「バカな!官邸というのはそんなに窮屈な所なのかね。ここには八百屋も来れば下肥屋も入って来るんだ。それが出入りの度に服を改めなければならぬと言うんじゃ、やりきれたものじゃないよ!君が自宅で浴衣でくつろいでいる時に、ちょっと呼ばれて官邸に行くというのに、いちいち身支度を整えなければならないなんて、そんな窮屈なことで人間らしい生活ができるものか。人間は誰だって糞もたれれば小便もするのだということを忘れている奴の言うことだよ」と大森大夫は普段から赤い顔をいっそう赤くしてこう言った。
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『愛国婦人会に活躍する婦人』1929年

大森齢子さんは落ち着いた奥様タイプの方で、外に立って華々しい活動はなさらないが、夫君大森鍾一男爵が没せられてからは、愛国婦人会のために堅実な地味な働きを捧げています。
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◆2代男爵 大森佳一 初代男爵 大森鍾一の子
1883-1945


■妻  野村愛子 大蔵官僚野村虎次郎の娘 学習院出身
1894年生


●長男 大森俊一 1922年生 3代男爵
●二男 大森英二 1929年生

●長女 大森恭子 1913年生 学習院出身 内藤頼輔子爵の子内藤頼武と結婚
●二女 大森敬子 1914年生 学習院出身


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◆3代男爵 大森俊一 2代男爵大森佳一の子
1922年生

■東京本邸 渋谷区常盤松町
1003



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◆初代男爵 古市公威 土木学会初代会長
1854-1934

1928年
1000



■妻  川名コウ 川名近太郎の娘
1860年生

1928年
1001



●長男 古市六三 2代当主
●二男 古市啓次 堤啓次となる 男爵鍋島英昌の娘鍋島マツコと結婚
●四男 古市宏光 子爵滝脇宏光となる
●六男 古市周六 男爵三宮義胤の娘三島糸子の婿養子になる
●七男 古市保彦 飯田保彦となる

●長女 古市喜子 医者瀬川昌世と結婚
●二女 古市静子 政治家野田俊作と結婚
●三女 古市和歌 医者桂秀三と結婚


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◆2代 古市六三  1代公威の子
1885-1961


■妻  佐々木千穂 昆虫学者佐々木忠次郎の娘
1895年生


●長男 古市功   化学者植村琢の娘植村照子と結婚

●長女 古市治子  長松太郎男爵と結婚
●二女 古市倭子  財閥浅野一治と結婚


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