直球和館

2025年

2025/09

◆初代男爵 木越安綱 陸軍
1854-1932

7291



■前妻 坊城美津 坊城俊政の娘


■後妻 柳田テイ 司法官僚柳田直平の娘・弟は柳田国男


●長男 木越専八 2代
●二男 木越二郎 陸軍
●七男 木越正順 高木正順子爵となる


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◆2代 木越専八 1代安綱の子


■妻  伊藤節子 伊藤祐敬の娘

◆初代男爵 大森鍾一
1956-1927


■前妻


■後妻  長齢子 漢学者長三州の娘
1870年生


●長男 大森佳一 2代
●三男 大森雅助 伏谷雅助となる

●長女 大森貞子 知事中川望と結婚
●二女 大森信子 知事池田宏と結婚
●五女 大森幸子 知事児玉九一と結婚
●六女 大森ミツ 永井浩と結婚
●七女 大森明子 知事重成格と結婚


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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

大森鍾一氏が貞明皇后宮大夫に任官することになった時、元侍従長徳大寺実則が、
「ほう、大森が皇太后大夫になったのか!惜しい人物が大正になってから入ってきたものだね。直接には知らないのだが、なかなかしっかりした人物だそうだよ。どうせ入るなら私がいる時に入ってくれればよかったのになあ!」と言われた。

大正陛下が皇太子時代に宮津に行啓になったことがあった。
そのとき京都知事だった大森氏が御先導申し上げたのであるが、大正陛下は非常におみ足がお早い。
しかし大森氏はでっぷりと肥満していて、足の運びが遅いのである。
大森氏はやりきれなくなり、郡長に御先導を命じて入れ替わってしまった。
それで大正陛下が笑って「大森、疲れたのか」とおっしゃったところ、
「決して疲れはしませんが、知事の私一人が御先導申し上げては光栄に堪えません。この光栄を郡長にも分けてやったのでございます」と平然とお答えした。
この噂はたちまち広がり、徳大寺氏の耳にまで入っていたのである。

大森大夫は赤ら顔のよく肥った堂々たる恰幅の人物で、いかにもさばけた人物で少しも上下のへだてを置かなかった。
ある夏のこと、浴衣の着流しで官邸に出入りしているところを皇后宮職の職員に見つけられてしまった。
翌日「官邸に浴衣で出入りするとはもってのほかだ。今後は気をつけるように」と注意されたのである。
大森大夫にその話をすると、「バカな!官邸というのはそんなに窮屈な所なのかね。ここには八百屋も来れば下肥屋も入って来るんだ。それが出入りの度に服を改めなければならぬと言うんじゃ、やりきれたものじゃないよ!君が自宅で浴衣でくつろいでいる時に、ちょっと呼ばれて官邸に行くというのに、いちいち身支度を整えなければならないなんて、そんな窮屈なことで人間らしい生活ができるものか。人間は誰だって糞もたれれば小便もするのだということを忘れている奴の言うことだよ」と大森大夫は普段から赤い顔をいっそう赤くしてこう言った。
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◆2代 大森佳一 1代鍾一の子
1883-1945


■妻  野村愛子 大蔵官僚野村虎次郎の娘
1894年生


●長男 大森俊一 3代
●二男 大森英二

●長女 大森恭子 陸軍内藤頼武と結婚
●二女 大森敬子


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◆大森俊一
1922年生

東京本邸 渋谷区常盤松町(現:渋谷区渋谷または広尾または東)
1003



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◆初代男爵 古市公威 土木学会初代会長
1854-1934

1928年
1000



■妻  川名コウ 川名近太郎の娘
1860年生

1928年
1001



●長男 古市六三 2代当主
●二男 古市啓次 堤啓次となる 男爵鍋島英昌の娘鍋島マツコと結婚
●四男 古市宏光 子爵滝脇宏光となる
●六男 古市周六 男爵三宮義胤の娘三島糸子の婿養子になる
●七男 古市保彦 飯田保彦となる

●長女 古市喜子 医者瀬川昌世と結婚
●二女 古市静子 政治家野田俊作と結婚
●三女 古市和歌 医者桂秀三と結婚


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◆2代 古市六三  1代公威の子
1885-1961


■妻  佐々木千穂 昆虫学者佐々木忠次郎の娘
1895年生


●長男 古市功   化学者植村琢の娘植村照子と結婚

●長女 古市治子  男爵長松太郎と結婚
●二女 古市倭子  財閥浅野一治と結婚


1002

■東京本邸 芝区三田小山町


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◆初代男爵 伊藤文吉 伊藤博文公爵の子
1885-1951

カメラ:丸木利陽
2013



■妻  桂寿満子  桂太郎公爵の娘・猩紅熱で死亡
1897–1930

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カメラ:丸木利陽
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●長男 伊藤俊夫  白根松介男爵の娘白根美穂子と結婚
●二男 伊藤和夫  岩瀬和夫となる

●長女 伊藤可世子 阪急佐多輝雄と結婚
●二女 伊藤喜美子 斯波蕃男爵の孫斯波悌一郎と結婚
●三女 伊藤博子  持田德彦と結婚
●四女 伊藤道子  伊藤博邦公爵の子林博則と結婚・義理のイトコ結婚


伊藤喜美子・伊藤博子
9551



1939年 暗殺事件から30年後 京城の朝鮮ホテルで 安重根の子安俊生と対面する文吉
2014

◆初代男爵 松井慶四郎 外務大臣
1868-1946

1912年
2138



■妻  今村照子 鉄道王今村清之助の娘
1879年生

1912年
2137


1924年
2158



●長男 松井明  2代当主
●二男 松井正二 

●長女 松井千代 子爵田中薫と結婚 デザイナー田中千代
●二女 松井貞子 安川電機安川寛と結婚


1912年 左から 貞子・千代・明
2139



1913年 左から 明・千代・貞子
2140



左から 明・正二・松井慶四郎・照子夫人・貞子・千代
2061



●松井千代 子爵田中薫と結婚 デザイナー田中千代
2144



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◆2代 松井明 1代慶四郎の子
1908-1994


1953年 松井明と姉田中千代
2063



■妻  原以都子 実業家原邦造の娘
1916年


●長女
●二女

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