◆初代男爵 奥田義人 鳥取県士族奥田鉄蔵の子 司法大臣・文部大臣
1860-1917
■妻 武井ヤエ 兵庫県士族武井正平の娘
1868年生
●長男 奥田剛郎 1888年生 2代男爵
●二男 奥田成孝 1902年生 福田正弘の姉福田恒子と結婚
●三男 奥田正博 1904年生
●長女 奥田咲子 1892年生 松平忠寿子爵と結婚
●二女 奥田龍子 1895年生 貴族院議員和田彦次郎の子和田正彦と結婚
●三女 奥田文子 1898年生 学習院出身 日本銀行重役野呂一雄と結婚
●四女 奥田博子 1900年生 衆議院議員浜本義顕の子浜本義賢と結婚
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宮武外骨『スコブル』1917年6月
今度『学生論』というのを著して公刊した奥田義人は、前司法大臣・現東京市長、法学博士と言えば立派だが、法科大学時代には教師に反抗したり窓ガラスを破壊するなどの乱暴で、一時退学処分を受けた男である。
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宮武外骨『スコブル』1917年6月
「東京電燈問題」
財閥党の一人たる東京市長奥田義人が、電燈会社の重役等と結託うえ電燈整理責任案というのを出して市民を瞞着し、追っては自己等の私腹を肥やさんとする不埒な魂胆がある。
しかるに東京の諸新聞雑誌がこれに痛撃を加えないのは、いずれも財閥に因縁情実を有する点もあるが、主として市会議員の小泉策太郎が諸新聞記者を買収して反対意見の発表を抑止しているからである。
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宮武外骨『地獄耳』1917年7月
東京市長奥田義人の電燈案は去7月10日の東京市会で、反対派からの罵詈怒号を浴びながら横暴の可決を遂げた。
東京市の電燈問題は奥田市長が財閥党の私利を計る私案の如く、醜劣な多数議員を糾合してついに可決せしめるに至ったが、内務大臣後藤新平・大蔵大臣勝田主計の両大臣もやはり同穴と見るべき筋の者であるから、日ならず認可するであろう。
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宮武外骨『地獄耳』1917年8月
東京市長奥田義人は例の電燈案が通過したので箱根温泉にしゃれ込んでいるうち腸カタルを起し、自宅に帰って療養中だが、昨今は肝臓炎をも併発して苦しんでいるという。
新聞屋は「電燈整理案のために心配して無理に身体を使い、健康を害したるものなり」と報じていた。
それはそうだろう。
昔から盗人は長生きできぬものに決まっている。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
財閥の走狗奥田義人が死んだ後 東京市長の後任者はまだ決定しないが、どうせロクな奴は出まり。
上には姑根性の牽制者多く、下には党派心・利己心強い悪漢議員いわゆる鬼千匹の小姑が多い東京市。
しかも選考委員という奴が自己等の陰謀奸策に同意すべき都合の良い者を引き出そうとするのであるから、気の利いた人が市長になるはずがない。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
奥田義人が男爵に叙せられた際 読売新聞記者に「奥田は国家に如何ような勲功があったのか」と尋ねると、「国家のことは知らないが、親分たる伊東巳代治には大なる功労があったものだ。巳代治が女中に孕ませたことは二度や三度ではないのだが、その都度奥田に処分を命ずると、奥田はその親元に対して『子ぐるみ引き取るならば一時金千円もらってやる。月手当を望むならば子供の生存中は毎月30円もらってやる。子供を伊東家に渡して去るならば500円もらってやる』というふうにいわゆる奥田案を提出するので、親元との交渉は造作なく結了する。巳代治はこれを嬉しく感じていたのみでなく、自分が大株主たる東京電燈庇護案を東京市会に通過せしめてくれたため、相場で莫大な利益を占め得られた殊勲もあったので、臨終に取り急いで男爵奏請の運動をしたのだ」と。
当今はこんな筋合いで華族になるのが多いのである。
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国民新聞 1917年
奥田義人男爵はかつて「市長は想像以上の大金を要する。大臣でも年俸の倍額あれば事は足りるが、市長はそれ以上で3~4万円の俸給でなければ務まらない」と言った。
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◆2代男爵 奥田剛郎 初代男爵奥田義人の子
1888-1981
■妻 杉山美喜 知事杉山四五郎の娘
1897年生
●長男 1923年生
●長女 1917年生 学習院出身
●二女 1920年生 学習院出身
1860-1917
■妻 武井ヤエ 兵庫県士族武井正平の娘
1868年生
●長男 奥田剛郎 1888年生 2代男爵
●二男 奥田成孝 1902年生 福田正弘の姉福田恒子と結婚
●三男 奥田正博 1904年生
●長女 奥田咲子 1892年生 松平忠寿子爵と結婚
●二女 奥田龍子 1895年生 貴族院議員和田彦次郎の子和田正彦と結婚
●三女 奥田文子 1898年生 学習院出身 日本銀行重役野呂一雄と結婚
●四女 奥田博子 1900年生 衆議院議員浜本義顕の子浜本義賢と結婚
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宮武外骨『スコブル』1917年6月
今度『学生論』というのを著して公刊した奥田義人は、前司法大臣・現東京市長、法学博士と言えば立派だが、法科大学時代には教師に反抗したり窓ガラスを破壊するなどの乱暴で、一時退学処分を受けた男である。
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宮武外骨『スコブル』1917年6月
「東京電燈問題」
財閥党の一人たる東京市長奥田義人が、電燈会社の重役等と結託うえ電燈整理責任案というのを出して市民を瞞着し、追っては自己等の私腹を肥やさんとする不埒な魂胆がある。
しかるに東京の諸新聞雑誌がこれに痛撃を加えないのは、いずれも財閥に因縁情実を有する点もあるが、主として市会議員の小泉策太郎が諸新聞記者を買収して反対意見の発表を抑止しているからである。
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宮武外骨『地獄耳』1917年7月
東京市長奥田義人の電燈案は去7月10日の東京市会で、反対派からの罵詈怒号を浴びながら横暴の可決を遂げた。
東京市の電燈問題は奥田市長が財閥党の私利を計る私案の如く、醜劣な多数議員を糾合してついに可決せしめるに至ったが、内務大臣後藤新平・大蔵大臣勝田主計の両大臣もやはり同穴と見るべき筋の者であるから、日ならず認可するであろう。
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宮武外骨『地獄耳』1917年8月
東京市長奥田義人は例の電燈案が通過したので箱根温泉にしゃれ込んでいるうち腸カタルを起し、自宅に帰って療養中だが、昨今は肝臓炎をも併発して苦しんでいるという。
新聞屋は「電燈整理案のために心配して無理に身体を使い、健康を害したるものなり」と報じていた。
それはそうだろう。
昔から盗人は長生きできぬものに決まっている。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
財閥の走狗奥田義人が死んだ後 東京市長の後任者はまだ決定しないが、どうせロクな奴は出まり。
上には姑根性の牽制者多く、下には党派心・利己心強い悪漢議員いわゆる鬼千匹の小姑が多い東京市。
しかも選考委員という奴が自己等の陰謀奸策に同意すべき都合の良い者を引き出そうとするのであるから、気の利いた人が市長になるはずがない。
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宮武外骨『地獄耳』1917年
奥田義人が男爵に叙せられた際 読売新聞記者に「奥田は国家に如何ような勲功があったのか」と尋ねると、「国家のことは知らないが、親分たる伊東巳代治には大なる功労があったものだ。巳代治が女中に孕ませたことは二度や三度ではないのだが、その都度奥田に処分を命ずると、奥田はその親元に対して『子ぐるみ引き取るならば一時金千円もらってやる。月手当を望むならば子供の生存中は毎月30円もらってやる。子供を伊東家に渡して去るならば500円もらってやる』というふうにいわゆる奥田案を提出するので、親元との交渉は造作なく結了する。巳代治はこれを嬉しく感じていたのみでなく、自分が大株主たる東京電燈庇護案を東京市会に通過せしめてくれたため、相場で莫大な利益を占め得られた殊勲もあったので、臨終に取り急いで男爵奏請の運動をしたのだ」と。
当今はこんな筋合いで華族になるのが多いのである。
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国民新聞 1917年
奥田義人男爵はかつて「市長は想像以上の大金を要する。大臣でも年俸の倍額あれば事は足りるが、市長はそれ以上で3~4万円の俸給でなければ務まらない」と言った。
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◆2代男爵 奥田剛郎 初代男爵奥田義人の子
1888-1981
■妻 杉山美喜 知事杉山四五郎の娘
1897年生
●長男 1923年生
●長女 1917年生 学習院出身
●二女 1920年生 学習院出身




