直球和館

2025年

2026/11

■岩崎俊弥邸
8ce362e9.jpg



=========================


※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。


■父  岩崎弥次郎
1808-1873


■母  小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900


●男子 岩崎弥太郎
●男子 岩崎弥之助


=========================


◆2代総帥 岩崎弥之助 1代総帥岩崎弥太郎の弟
1851-1908 57歳没


■妻  後藤早苗 伯爵後藤象二郎の娘
1857年生


●長男 岩崎小弥太 4代総帥
●二男 岩崎俊弥  盧高朗の娘盧八穂と結婚
●三男 岩崎輝弥  桜井房記の娘桜井須美と結婚

●長女 岩崎繁子  公爵松方正義の子松方正作と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『明治豪商の夫人』明治36年出版

岩崎弥之助氏の夫人の名は早苗、後藤伯爵の長女である。
夫人は幼少の折よりごく活発な質で、世間からはむしろ男とまでも言われたぐらい。
まず外観より申し上げたならば、色は白く目元はキリリと締った方で花の唇も固く結ばれ、吹く風にもいかで綻びまじき風情は自然と雄々しく見上げられたものだ。
体格も肥え太り丈も並より高いので、洋服であろうが和服に袴であろうが何を召されても似合うのはこれも夫人が自然の徳を備えているのである。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
国民新聞 明治41年2月15日 ※当時の総理大臣の年給は1万2千円

俊弥はイギリスのロンドン大学で応用化学を学び、帰国後は旭硝子社長となる。
明治40年に上野公園で開催された東京勧業博覧会に美人写真が展示されたブースがあった。
俊弥はそこに飾られた美人写真のうち八穂の写真に一目惚れし、恋の病に取りつかれ寝込んでしまった。
当時父の弥之助もまた死の床にあり、続く俊弥の病気に家族の不安は最高潮に達した。
結局俊弥が病気の理由を打ち明けたため、岩崎家は盧家に縁談を申し込んだ。
ところが盧家は不釣合いを理由に再三辞退したため、岩崎家は娘婿である加藤高明大臣を説得に向かわせて成婚にこぎつけた。
俊弥は28歳、八穂子は19歳だった。

『高価なる恋患い 当世写真の奇縁』
「岩崎男爵の二男俊弥氏と盧高朗氏の娘八穂の婚儀 この費用20余万円」

なにぶん二男一生の恋女房とて、支度の品々高貴の物ばかり。
衣装は三越に申し付け、同家お好みの簿雲斎模様の60余組。
帯と帯留はみな一組別々の注文で、この金数万円。
また玉宝堂および美術工芸会社よりダイヤ入りブローチ指輪数十個など一品100円以下の物なく、この代少なくも2,3万にのぼりたり。
また俊弥氏が精神込めての贈物はパリから取り寄せたる3万円のブローチにて、宝石200余個入りの珍品なりとか。
これに宴会の費用その他を合わすと、少なくとも20万ないし30万はかかる勘定にて、ちょっとおめでた連を驚かす訳合なり。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
盧八穂1908年 19歳
5013(1)



=========================


◆4代総帥 岩崎小弥太 2代総帥弥之助の子
1879-1945 66歳没


■妻  島津孝子 男爵島津珍彦の娘
1888-1975 87歳没


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
小弥太が造らせた屋敷は7軒。
・鳥居坂本邸
父の造ったバカでかい洋館が嫌になって造った和館。
内外を工芸品のように造り込んだ。
・元箱根別邸  夏用の別邸
ケンブリッジ大学留学中に覚えた狩猟とゴルフを楽しむため20万坪の山と土地を買った。
ゴルフ場は9ホールあり、夫人と執事と回り、他人とはプレイしなかった。
・京都別邸   春秋用の別邸
京都が好きな夫人のために造った。
春はタケノコ狩り、秋はマツタケ狩りをする。
・熱海別邸   冬を中心にオールシーズン用の別邸
・箱根湯本別邸 母のために造った別邸で、コンドルに設計させた。
・吉祥寺別邸  井の頭の池の近くにあり、ちょっと気分を変えたいとき用の別邸。
・静嘉堂文庫  蔵書のために世田谷に丘を一つ買い、洋館を建てて収めさせた。

小弥太は熱海別邸を一番利用した。
小弥太が東京の本邸から熱海の別邸に向かう際には、5人の執事がお供をした。
・深瀬勇  小弥太の幼馴染で、執事のトップ。
・北村大作 同じく小弥太の幼馴染で、渉外担当。
・金上盛三 美術学校出身で、買い付けや飾り付けなどの美術担当。
・高橋活一 執事深瀬の執事。
・柳原敬吉 熱海別邸の執事。

他に連れて行く使用人は
ボーイ3名。主人担当と夫人担当は別々。
料理人4名。京料理担当2名、フランス料理担当1名、手伝い1名。
運転手3名。リンカーン・パッカードなど3台連ねて移動する。
女中3名ほど。東京本邸の女中のうち3名程度がお供する。

もともと熱海別邸に勤めている使用人は執事柳原敬吉の指揮の下に、電気技師1名・ボイラーマン1名・掃除係3名・庭師1名、通いの植木屋が1日最少で10名。
小弥太は人糞の肥を嫌悪していたため、邸内で清潔な野菜・果物を、温室では西洋野菜やトロピカルフルーツを作らせていた。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
岩崎小弥太に仕えた執事の証言

執事の毎日は朝7時頃から男爵のおひけ(就寝)まで詰めっきりのうえ、日曜はむろん盆も正月もありませんでした。
家の中の言葉や立ち居振る舞いは京都の公家風を基本にしてましたから、それを覚えることから始め、次第に男爵の気持ちを先回りして事を処理できるようになり、愚痴の聞き役や叱られ役までこなせるようになれば一人前ですが、それで一生ですから、マァ普通の人間のやる仕事じゃありませんね。
女中さんは行儀見習いの良家の子女を含めて常時7、8人いまして、和服に桃割れの髪型で小間使いやら裁縫やら給仕なんかをやってました。
岩崎家で女中を務めると結婚の時にひとつの格式になったようです。
しかし女中頭のフジがやかましくて、入りたての娘はよく泣いていましたね。
今でもテレビの時代劇で大奥の女中たちの意地悪を見ると、昔を思い出します。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆3代当主 岩崎忠雄 伯爵林董一族の林忠雄が婿養子になる
1909-1990


■妻  岩崎淑子 2代総帥弥之助の孫/岩崎俊弥の娘


●長女
●二女

※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。


■父  岩崎弥次郎
1808-1873


■母  小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900


●男子 岩崎弥太郎
●男子 岩崎弥之助


=========================


◆2代総帥 岩崎弥之助 1代総帥岩崎弥太郎の弟
1851-1908 57歳没

1885~1886年
1005


1039



■妻  後藤早苗 伯爵後藤象二郎の娘
1857年生




●長男 岩崎小弥太 4代総帥
●二男 岩崎俊弥  盧高朗の娘盧八穂と結婚
●三男 岩崎輝弥  桜井房記の娘桜井須美と結婚

●長女 岩崎繁子  公爵松方正義の子松方正作と結婚


●岩崎俊弥 盧高朗の娘盧八穂と結婚





●岩崎輝弥 桜井房記の娘桜井須美と結婚


輝弥の娘たち
98de07fe.jpg



●岩崎繁子 公爵松方正義の子松方正作と結婚



=========================


◆4代総帥 岩崎小弥太 2代総帥弥之助の子
1879-1945 66歳没






■妻  島津孝子 男爵島津珍彦の娘
1888-1975 87歳没

1010


1011





=========================


◆3代当主 岩崎忠雄 伯爵林董一族の林忠雄が婿養子になる
1909-1990


■妻  岩崎淑子 2代総帥弥之助の孫/岩崎俊弥の娘


●長女
●二女

■本邸 台東区池之端 1万4千坪 1896年竣工 設計:ジョサイア・コンドル 
0002(1)


0002(2)


■深川別邸〈清澄園〉3万坪 1891年竣工 設計:ジョサイア・コンドル
9126


■駒込別邸〈六義園〉12万坪


=========================


※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。


■父  岩崎弥次郎
1808-1873


■母  小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900


●男子 岩崎弥太郎
●男子 岩崎弥之助


=========================


◆初代 岩崎弥太郎
1835-1885 50歳没

*生まれつき頑健だったが、長年の大酒がたたって40代から胃の不調に悩む。

*胃痛と嘔吐を繰り返し胃ガンと診断され、痩せて腹部だけ膨れ、死亡。


■妻  高芝喜勢 高芝玄馬の娘 
1845-1923 78歳没


●実子 岩崎久弥 3代総帥
●庶子 岩崎康弥 医者松山棟庵の娘松山登志子と結婚
●庶子 岩崎正弥 外務官僚能勢辰五郎の娘能勢高麗子と結婚
●養子 岩崎豊弥 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎

●実子 岩崎春路 加藤高明伯爵と結婚
●実子 岩崎磯路 政治家木内重四郎と結婚
●庶子 岩崎富子 三菱社員早尾淳実と結婚離婚
●庶子 岩崎雅子 幣原喜重郎男爵と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『横から見た華族物語』昭和7年出版

大阪富田屋に〈お雄〉という芸妓がいた。
これに目をつけたのが富田屋にとって一の客である岩崎弥太郎男爵であった。
まだ年の若いお雄として、金のために自由にされるということは好まなかった。
なかなかおいそれと色よい返事をしない。
金さえ積めばどんなことでも思うままになると思い込んでいる大尽は、金は山ほど積むとか、言うことを聞けば何でも望む物は買ってやるとか、そんな言葉が幾度となく繰り返された。
すると当人のお雄は相手の言葉をみなまで聞かず、すいと立ち上がって気分が悪いからと言ってその場から出てしまった。
ちょうど冬のことで岩崎大尽はコタツに入って飲んでいた。
お雄の艶な姿が見えなくなると布団の上に顔を押し付け太い息を吐いていたが、やがて布団をメリメリと引き裂き、綿をちぎって左右へ投げ始めた。
顔を見ると目には涙さえ浮かべているといった有様で、天下の弥太郎も一婦人のために滅茶滅茶の姿となった。
この狂態を見せつけられては富田屋の夫婦も黙って見ていられなかった。
とうとう嫌がるお雄を口説き落として岩崎男爵の意に従わせることとなった。
それから後の岩崎男爵は足一歩も富田屋の敷居から出ずお雄を引きつけ切りであったが、東京へ行かねばならぬ用件ができたのでしばらくお雄と遠ざかることになった。

岩崎男爵が上京の留守中に井上馨侯爵が富田屋に遊んで、一目お雄の姿を見ると今まで馴染んでいた女を振り捨て一本やりにお雄を目指して手に入れようと焦り出した。
お雄にはすでに岩崎大尽という日本一の旦那のあることは承知している。
だが井上侯爵とて富田屋にとっては岩崎男爵にもまして大切なお客様である。
井上侯爵を押し付けられてみると、井上侯爵の女道楽は相当の修養を積んでいるから女の嬉しがりそうなことを言ってちょいちょい優しいところを見せる。
男慣れしていないお雄が日増しに井上侯爵に引きつけられて行くのは無理もないことで、もし二人の仲が岩崎男爵に知れても決して見捨てて下さるなと自分の方から真心を見せて頼むほどになった。
意外なところから井上という色敵が飛び出してこっそりお雄の手を握った秘密は神ならぬ身の知る由もなかったが、場所が口さがなき遊郭のことではあり関係する人々がいずれも当世第一の人物であったから、誰言うことなく噂は噂を生んで井上侯爵とお雄とが描いた秘密がとうとう岩崎男爵の耳に入ってしまった。

ある晩富田屋の大広間で長州人と土州人との懇親会が開かれた。
井上侯爵も岩崎男爵もむろんこの席に列なった。
集まった者はいずれも維新前後の危ない巷を出入りした粒よりの勇者で、維新当時の立ち働きや自分達の功名談に花を咲かせ、痛快を叫びつつ献酬に忙しく盃の巡りも存外に早かった。
岩崎男爵は急に席を立ちお雄の手を取って井上侯爵の前へやって来た。
立ったまま井上侯爵を見下ろしながら肴を遣わすと言うなりお雄を井上侯爵の前へ突き倒し、「乞食武士には腐った肴が分相応だ、よく匂いを嗅いで賞玩しろ」と怒鳴りつけたから、井上侯爵も黙ってはいられない行き掛りになった。
それでもその場は仲裁する者が出てどうにか無事に納まったが、お雄には岩崎男爵から暇が出た。
こうなるとお雄としては意地からでも井上侯爵に捨てられてはならぬ。
そこで井上侯爵に念を押したところ、「わしも長州の井上だ、お前の他には女を相手にしない」とキッパリした返事であった。
そんな約束がいつまで守れるはずがない。
月日が経つに従って浮気の心も起りお雄の顔も見飽いてきた。

その後天王寺家の房鶴という芸妓を相手にお雄に内密でちょいちょい会っていたが、いつのまにかそれがお雄の耳に入ったからただで済むはずはなかった。
井上侯爵が房鶴を相手にふざけている現場へ乗り込んで行って、「岩崎さんがお前さんを乞食武士だと言ったが、本当に乞食武士に違いない。
それに女の乞食もいて二人でさかっていやがる」と恐ろしい啖呵を切って、井上侯爵の顔を痰を吐きかけてそれきり絶交してしまった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
弥太郎は4人の娘たちに将来有望な婿を選んで結婚させた。
富子の夫早尾淳実も東京大学法科を2番で卒業した秀才だったが、
部下に当時の金額で16億円もの小切手を振り出すように命じたりするようになって精神病院送りとなった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮武外骨『地獄耳』

故岩崎弥太郎の娘富子は、本郷駒込の岩崎の別邸に多年幽閉されている。
富子は妾腹で、役者勘五郎の胤と言われたほどの美人で、三菱社員早尾某に嫁いだが、役者買いに浮き身をやつして風波絶えず、夫の早尾は発狂し、富子は離縁となって今日なお駒込の別邸に日陰者となっている。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮武外骨『地獄耳』

加藤高明の女房は岩崎家のお嬢さんで200万円の持参金つきだから一生女房に頭が上がらぬ方だが、それでも女房に内々で新橋の松日の家松栄・花月の女将お静を寵愛している。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
宮武外骨『地獄耳』

千葉県では「あいつは木内のような奴だ」という言葉が流行している。
これは三菱の鮒馬で京都府知事たる木内重四郎のことである。
この男の傲岸不遜ときたら、途中で人がお辞儀をしても見向きもしないくらいの威張り方であるそうな。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


●岩崎豊弥 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎

岩崎勝太郎 1978年 
19780179



=========================


◆3代 岩崎久弥 1代弥太郎の子
1865-1955 90歳没

*米ペンシルバニア大学に留学


■妻  保科寧子 子爵保科正益の娘
1874年生


●長男 岩崎彦弥太 幻の5代総帥
●二男 岩崎隆弥  大臣池田成彬の娘池田敏子と結婚
●三男 岩崎恒弥  海軍清河純一の娘清河勝代と結婚

●長女 岩崎美喜  外務官僚沢田廉三と結婚
●二女 岩崎澄子  伯爵甘露寺受長の子甘露寺方房と結婚
●三女 岩崎綾子  福沢諭吉の孫福沢堅次と結婚




●岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚 エリザベスサンダースホームを創立

1958年 息子沢田信一が離婚訴訟で敗ける
19580001


19580003


1980年 沢田美喜夫妻が息子の不倫相手を養女にする
19800298


19800300


1980年
19800037



=========================


◆4代当主 岩崎彦弥太 3代久弥の子・幻の5代総帥
1895-1967


■妻  佐竹操子  男爵佐竹義準の娘


●長男 岩崎寛弥  5代当主

●長女 岩崎勢津子 国広達宣と結婚
●二女 岩崎昭子  山村泰弘と結婚
●三女 岩崎美智子 高島孝之と結婚


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
岩崎寛弥 岩崎彦弥太の子

「自分のところで育てた馬が走るわけですから、競馬に熱心でした。
馬は育てることも、レースに出すことも、自分で乗ることも好きで、
馬術についてはウィーンのスペイン馬術学校に入学しているほどです。
戦後の父は、馬と狩りといったアウトドアの趣味と、大好きなお酒の日々でした」


彦弥太は学習院から東大に進み、卒業後はイギリスのオックスフォード大学へ留学。
帰国後は三菱鉱業や富士紡績で経営者としての修業を積んだ後、
三菱合資に入り4代総帥彦弥太の下で副社長になる。
順当に行けば5代目総帥となる予定であったが、敗戦とそれに続く財閥解体により幻に終わった。
岩崎家は三菱本体とは別に小岩井農場をはじめとする農場経営を行っており、
これは財閥解体の対象とならなかったので、その後の彦弥太は大農場のオーナーとして生きる。
国分寺別邸は1万坪の敷地に、プール・農地・鴨池・ケンネルなどがあった。
プールは子供たちのため、農地では自家用の野菜や果物を作らせ、鴨池では自家用の鴨を飼育させた。
彦弥太は狩りが好きで獲物の鴨や雉を食べるのを楽しみにしていたが、
狩りのない時用に鴨を飼っておくのである。
ケンネルは犬の繁殖のためで、イギリスやドイツから優秀なエアデールテリアを輸入し交配させていた。
使用人によると、彦弥太はすべての豚や鶏の顔を覚えていたそうである。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


=========================


◆5代当主 岩崎寛弥 4代当主彦弥太の子
1930-2008


■妻  清水美智子
1943年生


●養子 岩崎透 2代岩崎弥之助→子岩崎輝弥→孫ドイツ語学者岩崎英二郎→曾孫岩崎透

※三菱財閥の総帥の座は親から子へ移るのではなく、
兄の弥太郎・弟の弥之助の2つの家から交互に継いでゆく。


■父  岩崎弥次郎
1808-1873


■母  小野美和 小野慶蔵の娘
1814-1900


●男子 岩崎弥太郎
●男子 岩崎弥之助


=========================


◆初代 岩崎弥太郎
1835-1885 50歳没

*生まれつき頑健だったが、長年の大酒がたたって40代から胃の不調に悩む。

*胃痛と嘔吐を繰り返し胃ガンと診断され、痩せて腹部だけ膨れ、死亡。




■妻  高芝喜勢 高芝玄馬の娘 
1845-1923 78歳没

9290





●実子 岩崎久弥 3代総帥
●庶子 岩崎康弥 医者松山棟庵の娘松山登志子と結婚
●庶子 岩崎正弥 外務官僚能勢辰五郎の娘能勢高麗子と結婚
●養子 岩崎豊弥 郷純造の子・妻は伯爵柳沢保申の娘武子・子は岩崎勝太郎


●実子 岩崎春路 加藤高明伯爵と結婚
●実子 岩崎磯路 政治家木内重四郎と結婚
●庶子 岩崎富子 三菱社員早尾淳実と結婚離婚
●庶子 岩崎雅子 幣原喜重郎男爵と結婚


●岩崎康弥 医者松山棟庵の娘松山登志子と結婚





●岩崎昌弥 外務官僚能勢辰五郎の娘能勢古満子と結婚





●岩崎豊弥 養子・郷純造の子・妻は柳沢保申伯爵の娘柳沢武子・子は岩崎勝太郎





●岩崎春路 加藤高明伯爵と結婚

左:春路 中:夫加藤高明 右:娘悦子



=========================


◆3代 岩崎久弥 1代弥太郎の子
1865-1955 90歳没

*米ペンシルバニア大学に留学






■妻  保科寧子 子爵保科正益の娘
1874年生






●長男 岩崎彦弥太 幻の5代総帥
●二男 岩崎隆弥  大臣池田成彬の娘池田敏子と結婚
●三男 岩崎恒弥  海軍清河純一の娘清河勝代と結婚

●長女 岩崎美喜  外務官僚沢田廉三と結婚
●二女 岩崎澄子  甘露寺受長伯爵の子甘露寺方房と結婚
●三女 岩崎綾子  福沢諭吉の孫福沢堅次と結婚


後列左から 岩崎久弥・彦弥太・隆弥
前列左から 美喜・綾子・寧子夫人・澄子・喜勢夫人・恒弥
9af60ab0.jpg



立つ左から 綾子・恒弥・美喜・彦弥太・隆弥・澄子
座る左から 寧子夫人・喜勢夫人・岩崎久弥
0cd011ef.jpg



●岩崎美喜 外務官僚沢田廉三と結婚


1187



=========================


◆4代当主 岩崎彦弥太 3代久弥の子・幻の5代総帥
1895-1967


■妻  佐竹操子  男爵佐竹義準の娘


●長男 岩崎寛弥  5代当主

●長女 岩崎勢津子 国広達宣と結婚
●二女 岩崎昭子  山村泰弘と結婚
●三女 岩崎美智子 高島孝之と結婚


=========================


◆5代当主 岩崎寛弥 4代当主彦弥太の子
1930-2008


■妻  清水美智子
1943年生


●養子 岩崎透 2代岩崎弥之助→子岩崎輝弥→孫ドイツ語学者岩崎英二郎→曾孫岩崎透

このページのトップヘ