直球和館

2025年

2030/07

<聖護院別邸事件 幡新編>

1976年幡新守也(グアム島残留日本兵横井庄一の妻の兄)は
四男暢道に融資した3千万円が返済されなかったため、聖護院別邸・大谷専修学院の学生寮『修練舎』・宗務総長役宅の3点を差し押さえる。
当時宗務総長役宅には嶺藤総長が住んでいた。
聖護院別邸は別の債権者福田アツシ〔外字〕にも差し押さえられていたため、二重に差し押さえられたことになる。


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自称:哲学者・著述業 幡新守也(グアム島残留日本兵横井庄一の妻の兄)

1975年頃、最初にやってきたんが武内孝麿ちゅうて武内克麿(四男暢道側近の僧侶)の弟。
四男暢道の使い走りをしとった男やねえ。
それから克麿、続いて四男暢道が顔を見せるようになって、1億5千万円ほど貸してほしいと頼んできた。
「なんでそないに金が要るんや」と聞いたら、こない言うのよ。
「長男光紹と二男暢順にそれぞれ暴力団がついて東本願寺の財産を食い物にしようとしとる。この二人を切らんことには東本願寺はダメになってしまう。そこで自分たちもその筋に頼んで二人の悪行の数々を調べさせているが、その資料を手に入れるには1億5千万円ほどの金を渡さにゃならん」と言うわけですよ。
ヤクザに金を払ろて長男と二男に関する情報を取ろうちゅうわけやな。
実はこれ嘘やったことが後でわかったんやが、その当時はわからんわねえ。
そこでワシは「なんであんたらの兄弟喧嘩に金を払わにゃならんのや」言うて断ったんですよ。
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ところが四男暢道らは「その筋に金を渡す期限が迫ってきた。
払えないと東本願寺はいよいよ食い物にされてしまう」とうろたえた。
そこで幡新は場つなぎにと言って3千万円を貸す。


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自称:哲学者・著述業 幡新守也(グアム島残留日本兵横井庄一の妻の兄)

この3千万円は手形を取っただけで担保も取らずに貸したんですがね、
「どないして返すんや」と聞いたら、こないなこと言うんですよ。
「智子裏方が地方を回って合力をやる、そしたら10億やそこらの金はすぐ集まる」ちゅうんですよ。
えらい調子のええ話やったけど、それっきりですわな。
裏方が合力をやったという話も聞かんし、金も返しにけえへん。
そうこうしてるうちに年が明けて、例の手形乱発事件ですがな。

その直後やったと思うなあ、聖護院別邸を買うてくれと言うてきたんは。
「何を言うとるんか。まず前の3千万円を返すのが筋とちゃうか。第一ワシにはちゃんとした家があるのに、なんで聖護院別邸を買わなならんのや」ちゅうたんですわ。
そしたら「3千万円の代わりには烏丸の大谷大学の近くに200坪ほどの更地があるさかい、ひとつ見に行きましょ」言うんで、行ってみたんですわ。
そしたらこれが更地と全然違いますのやがな。
「こんなところ、学生が下宿みたいにして住んどるし、使い物にならん。登記費用だけでも馬鹿にならん。割にあわん」と言うたんですよ。
(これは学生寮『修練舎』のことである)
「では、その登記費用の代わりに」て持ち出したんが、宗務総長役宅。
「これならいくら嶺藤総長が反対しても、いざとなれば法主が嶺藤をクビにしてしまえば使い物になる」ちゅうわけですわ。
それで前に貸した3千万円については『修練舎』に宗務総長役宅をプラスすることで話がついたんで、
また聖護院別邸を買うてくれちゅう話になったわけ。
それで不動産の専門家に鑑定してもろたら、まあ3億ぐらいなら損はせえへんやろと皆が言う。
ほんまは5億円ぐらいはするやろが、人間は住んでるし(四男暢道一家のこと)所有権を移転するとなればどうせ争いになるから、そのぶん条件が悪いと言う。
それでまあ、鑑定より少しはずんで3億5千万円出しましょということになったんですよ。
この時は法主・裏方・四男暢道と3人で聖護院別邸で話をした。
裏方は「この子が育った『対嵐坊』も人手に渡ってしまいましたが、またこの子が住んでる家が人様の手に渡るというのも何かの因縁でしょうねえ」としんみり言うてましたよ。
そのとき印象に残ったことがあるんやが、法主が「あと10年若ければ私も改革派と戦うんやが、この年では」と弱々しく言うと、裏方が「何を気のお弱いことを」とたしなめとった。
主戦論者は裏方のようだったねえ。
それだけ四男暢道が可愛いんだろうねえ。

ところが四男暢道がね「6月半ばまでは所有権の移転登記をせんといてくれ」と言うんですよ。
「6月1日から宗議会が始まる。改革派が多数を占める僧侶が全国から集まってくる時期だから、ことを荒立てるとマズイ」と言うんだねえ。
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しかしその直前の5月25日、京都地裁は東本願寺から申請された大谷家の債務負担行為禁止等の仮処分を認める判決を下した。
これにより法主の借金や財産処分権は停止される。
慌てた幡新は、聖護院別邸・大谷専修学院の学生寮『修練舎』・宗務総長役宅の仮登記を行った。
一方、1億5千万円の担保として同じ聖護院別邸の書類を預かっていた福田アツシ〔外字〕も、慌てて幡新に遅れて3日後に仮登記を行った。

福田は「借金の担保として書類を渡しておきながら、知らない間に他人に売っていたのか」と愕然し、
幡新も「聖護院別邸の3億5千万円は福田に返す金に使うんだと言うとったのに、返さなかったんですよ。びっくりしたわ」とあきれた。

18年後の1994年大谷家の借金を肩代わりした東本願寺が、3千万の借金に利息を合わせて3,100万円を支払って和解が成立した。

<聖護院別邸事件 福田編>

四男暢道は福田アツシ〔外字〕(元総理大臣福田赳夫の甥)の紹介で、横浜の会社から1億5千万円を借りた。
借り手の名義は光暢法主、保証人は福田アツシである。
ところが四男暢道が返済しなかったため、1976年福田は聖護院別邸を差し押さえた。
別の債権者幡新守也も差し押さえていたため、聖護院別邸は二重に差し押さえられたことになる。


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元総理大臣福田赳夫の甥 福田アツシ〔外字〕

今まではオヤジ(福田赳夫)に迷惑がかかってはいかんと思って黙っていた。
そもそもの馴れ初めから話しましょうか。
ある人の紹介で四男暢道と武内克麿(四男暢道側近の僧侶)がやって来たんです。
東本願寺の息子だし、母親は皇后様の妹だし、信用しない方が不思議でしょう。
それで、ごく普通のつきあいが始まったわけです。
御上(光暢法主)や裏方(智子)にも何度もお目にかかりました。
私が京都へ行ってお住まいで一緒に食事をいただいたこともあるし、法主夫妻が東京へ来ると、いつも泊まる帝国ホテルで食事を差し上げたりしました。

オヤジは私とは別のルートで法主と知り合ったんです。
代議士の大橋武夫さんが東本願寺の門徒で、オヤジは大橋さんに紹介されて法主には何度か会っているんです。
いつも法主夫婦の後ろの方でチョロチョロしている男がいる。
オヤジが「ありゃ何者だい」と聞くので、私が「あれが有名な吹原弘宣ですよ」と教えると、
「へえ、あれが吹原か。でもなんで吹原が東本願寺と一緒にいるんだい」なんて言ってました。

なんでも、保守派と改革派というのがあって、改革派は東本願寺乗っ取りを企んでる。
これをなんとか防がなくちゃならんのだが、そのためには金が要るんだと言うんですなあ。
選挙の応援もしてもらっていたし、なんとか助けてあげたいと思ったわけですよ。
それで当時私が顧問をしていた横浜の会社を紹介した。
借りてやったのは1974年だったと思うんですがねえ。
1973年の末だったかもしれない。
ともかくその頃ですよ。

ところが、期限が来ても金は返せないと言うんですな。
その時点で私はまだ彼らを信用しとったから返せないのは気の毒だと思って、自分で5千万円都合し、あと1億円は知り合いの会社に頼んで手形を切ってもらって、とにかく横浜の会社には返したんです。
しばらくして私も金が必要になったので銀行に頼んで手形(四男暢道が振り出した元の1億5千万円の手形)を割り引いてもらおうとしたんですよ。
そしたら、この手形が全く使い物にならない偽物だとわかった。
東本願寺の息子だからと疑ってみもしなかっただけに愕然としましたな。
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四男暢道が光暢法主名義で振り出していた手形は光暢法主の口座のものではなく、
他人の口座の白紙の手形を入手して金額を書き入れていたものだった。


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元総理大臣福田赳夫の甥 福田アツシ〔外字〕

これは明らかに詐欺です。
私が訴えなかったのは四男暢道はともかく相手が東本願寺であり、事を荒立ててオヤジに迷惑がかかっちゃいかんと思ったからに他ならない。
今日まで我慢に我慢を重ねとったんです。
例の枳殻邸の問題ね、あれは私が松本裕夫さんに忠告したんですよ。
松本さんが法主に金を出してるという話を聞いたんで、私の二の舞を踏んじゃいかんから、ちゃんと担保を押さえてからにしなきゃいかんと言ったんです。
私も松本さんも他の人も、みな同じ手口でやられてる。
あの連中は知らない人のとろこへ行って東本願寺で信用させて、返すアテのない借金を膨らませている。
明らかな手形詐欺、普通の人間だったらとっくの昔に捕まってますよ。
あの連中はきちんとした形にすると、自分たちの思うように金が入らないので反対する。
結局のところ、四男暢道や武内らを切らんと東本願寺の紛争は解決の糸口ができない。
これが私の苦い経験から得た結論ですな。
高い授業料につきましたが。
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8年後の1984年、大谷家の借金を肩代わりした東本願寺が7千万円を支払って和解が成立した。

<枳殻邸事件>

1978年光暢法主が枳殻邸/渉成園を松本裕夫(京都のビル会社社長)に30億円で売却する。
記者会見で、光暢法主は「東本願寺が独立するにあたって松本氏に感謝している。東本願寺の財産を正常化するために使用する」と発言。
三池新二(四男暢道側近の不動産業者)は「売却するのではない。東本願寺正常化のための資金援助を受ける担保として一年間お預けするだけ」と発言。
30億円を渡した京都のビル会社社長松本裕夫は「資金を出す裏付けとして、一年間お預かりする」と発言した。

しかし翌1979年松本は、光暢法主・四男暢道・四男暢道側近の不動産業者三池新二と共に背任容疑で書類送検されてしまう。

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裕光株式会社(京都のビル会社)社長 松本裕夫

1978年の3月頃でしたかな、三池から1,500万円ばかり貸してくれと言われましてね。
仕事の関係で20年来のつきあいやし、まあええやろということで貸したのが始まりですわ。
三池が「一度光暢法主に会ってやってくれんか」と言うので、御池飯店で水炊きをつつきながらお会いしました。
智子裏方・四男暢道・武内克麿(四男暢道側近の僧侶)も一緒やったな。
それからも法主とお裏さんには何度かお目にかかってます。

三池はそれからも何度か金を借りに来て、気がついた時には数千万の金が出てた。
いくらお寺さんでも、なんでこないに金が要るんやろと不思議な気がしましてな。
私も仕方ないから東本願寺のことを勉強しましたがな。
調べてみると、これがもうめちゃくちゃ。
借金が雪だるま式に増えて自転車操業やっとんのやから、いくら金があっても足りんはずですわ。

私も商売人ですさかい、お寺さんに金貸しても利益になるわけやないから、やめよと思たんですわ。
そやけど既に数千万円つぎ込んでしもてるし、返ってくるアテもないんやから後戻りできまへんがな。
「助けてもらわんと法主はパンクしてしまう」て言いよるしねえ。
親鸞の血をひく生き仏で皇后陛下の妹さんを奥方にしてるような偉い御方が困っておられるのやったら、お助けしよかという気にもなりますがな。
でも私としても「何にも無しでこれ以上ズルズル貸し続けることはでけん」と言うたんですわ。
そしたら四男暢道・武内・三池は「それなら枳殻邸をお譲りしますから、援助を続けていただきたい」て言いましてね。
私は法主にお目にかかって、直筆の念書もちゃんといただいてます。

三池から電話がありましてな。「記者会見があるから出てくれへんか」て言うんです。
ところがいよいよ記者会見が始まる直前になって三池が「松本さん、あれ一時金を貸しただけやいうことにしてくれへんか、頼むわ」て言うんです。
「それ、話が違うやないか」て言うてるうちに記者会見が始まってしもた。
で、三池があんなこと喋ったわけですわ。
私もいまさら違うとも言われへんしねえ。
しょうがないから、今まで黙っとったんですわ。

どこを調べてもろてもかまいませんけど、私は東本願寺に貸した金について利子はビタ一文も取ってません。
私は金貸しとは違うんやから。
法主が私に枳殻邸を売るという念書を書かれて、四男暢道たちはそれで援助を続けてくれと言うたんやから、利子を取れるはずがありませんわ。
これほどまでした私が、なんで背任で告訴されなあきませんねん。
宗門のことには一切口出しもせんと、四男暢道たちの乱脈にもじっと我慢して見守ってきたのにですよ。
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16年後の1994年、大谷家の借金を肩代わりした東本願寺が5億3千万円を支払って和解が成立した。

<名号ネクタイ事件>

1973年光暢法主が、直筆の南無阿弥陀仏の六文字(名号)をデザインしたネクタイを1万の末寺を通じて門徒に売ろうとした事件。
表向きは、大阪の本泉寺の住職若松晴が企画したことになっている。
東本願寺内局が計画を差し止めたため、ネクタイ会社が損害賠償を求める訴えを起こして翌年発覚。
訴状によると、1本5,000円のネクタイ10万本の製作費販売費の損失が1千万円、完売した場合の予定利益は5億円だった。

<難波別院事件>

1973年光暢法主が、大阪にある難波別院の400坪の土地に貸しビルを建て、賃貸料を儲けようとした事件。
表向きは、同じく若松晴が企画したことになっている。
大阪の不動産会社から数回に渡り計7千万円を受け取った。
しかし正規の手続きを経ていなかったため計画は差し止め、結果的に若松が7千万円を詐取した形となり、訴えられて翌年発覚。

<宇治土地事件>

1973年光暢法主が、京都宇治にある本願寺維持財団の土地1,100坪を1億3338万円で売り、滋賀県の山林を5千万円で買って土地交換を行い、差額の8338万円を儲けようとした事件。
表向きは、同じく若松晴が企画したことになっている。
本願寺維持財団理事長の二男暢順が気づいて未然に防いだ。
しかし不動産業者から内金として3,500万円を受け取っていたため、結果的に若松が3,500万円を詐取した形となり、訴えられて翌年発覚。


『難波別院事件』と『宇治土地事件』で合計1億500万円を詐取したことになる若松は、1974年6月、妻子を連れてドイツに逃亡する。
逃亡前日に若松の銀行口座に四男暢道名義で1千万円の振込があり、逃亡当日に若松が全額引き出していたことが京都府警の捜査で判明している。
3年間海外で逃亡生活を送ったのち1977年に帰国、自首した。
単独犯行であることを主張、有罪判決を受けたが控訴せず服役した。

<六条山墓地造成事件>

光暢法主から後継者に指名された長男光紹のブレーンには危険人物がいた。
昭和40年(1965)三菱銀行・大和銀行から総額486億8千万円を騙し取った戦後最大の詐欺事件
『吹原産業事件』の首謀者吹原弘宣である。


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読売新聞 1969年5月16日

『新門のブレーンに疑惑の人吹原弘宣、内局・宗議会が反発』

内局は三位一体の不文律が破られた理由を解明しなければならぬと調査を始めたが、
意外なことに吹原が長男光紹のブレーンとして
昭和42年(1967)頃から宗政面にタッチしていることがはっきりした。
吹原は東京本願寺振興対策委員会の11人の委員の1人となっており、
長男光紹が東京本願寺住職でもあるところから長男光紹に接近した。
しかも吹原が果たしてきた役割は、いわば宗政の実務であったという。
例えば東京本願寺所有の空地約3,300平方メートルを京成電鉄に賃貸していたが、
この契約を更新するとき東京東本願寺に入った権利金9,100万円に対する課税額を巡って、
吹原が東京国税局長と直接取引し173万4千円で話をつけた。
また東本願寺横浜別院は本山の三機関の正式な決定によって
約2,000平方メートルの土地を2億円で売却して磯子区内へ移転することになり、
今の土地に予備校があったので寺側は立退料3,000万円を支払ったが、
この2月光暢法主が突然「売却についてはすべて吹原に相談して決めるように」と内局に指示したため、
3,000万円支払った土地はいまだに売れていない。
これは売買の話を知った吹原が「2億円では安すぎる」と法主に相場を教えたからだと言われている。
吹原の大谷家に対する食い込み様はかなりのものらしく、
彼と大谷家の密接な関係を裏付けるような話が次々とあらわれる。
「吹原は1ヶ月に1度くらい智子裏方を東京へ招いて歌舞伎などに案内している。
銀座の洋品店で高価な物を買って贈る」

(長男光紹と記者の一問一答)

Q 吹原氏が前科3犯の詐欺常習者であり、現在保釈中であることはご存知か?
A 前科があるということは初耳だ。
親鸞の教義に悪人と見られている人こそ救わねばならぬとあり、
またそんな人ほど善人に比べて宗教心が厚い。

Q 吹原氏を知ったいきさつは?
A 門徒であるというので、昭和42年(1967)ごろ人を介して会った。
高松宮ともお親しいし、
赤十字の顧問や私立学校の援助もしている教育・社会活動に熱心な人だと思っているので、
いろいろ意見を聞くことにしている。

Q 東本願寺の財産問題に吹原氏がタッチしているのは
宗教的交際の域を越えるものではないのか?
A 吹原氏は有能な実業家であるので手助けを願っている。
今度の事件も判決が出ていない以上、悪人にするのは酷ではないか。
いわんや親鸞とても、流罪になったことがあるではないか。
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毎日新聞 吹原弘宣へのインタビュー

新門〔長男光紹〕から光暢法主と上手くいかないので、仲を取りもってほしいと言ってきたのが最初ですね。
法主と新門は親子でありながら和がない。
智子裏方は自分の手元で育てた四男暢道ばかりを猫可愛がりで上の三人は継子扱いだ、そんな家族の悪口を聞くことから始まったんです。
そこで御法主夫妻・新門さんを招いて食事を差し上げたりした。
新門さんがこの事務所に来られたのは1966年初め。
だから大谷家への出入りはもう10年になる。
僕はお寺に生まれた。
大谷家のみんなが良くなるように、それによって宗門が良くなるようにと思って首を突っ込んじゃったんですね。
10年間1銭も使わせず面倒みてきたんですよ。
(接待費・車賃・金一封など東本願寺関係者のために使った金は75,935,740円だと吹原は述べている)
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1970年12月『六条山墓地造成事件』が起きる。
光暢法主が吹原の入れ知恵で六条山にある東本願寺所有の土地に墓地を造成して売り出す計画を京都市に申請する。

六条山は伏見宮邦家親王の娘嘉枝宮和子女王が21代大谷光勝に嫁いできた時の「持参物」で、広さは23,600平方メートル、総工費は20億円である。
正規の手続きを経ていなかったが、内局がこれを知った時にはすでにブルトーザーが入り山林は切り開かれ土地の造成が始まっていた。
今さら白紙に戻せない事態に内局は頭を悩ませた末に、東本願寺ではなく本願寺維持財団にこの墓地の経営を任せて工事を続行することに決めた。

できた墓地が『東山浄苑』、墓の数は2万基。
二男暢順が本願寺維持財団の理事長となった。

当の吹原はこの工事により水面下で数億円を手に入れて、「本願寺問題から手を引く」と記者会見して大谷家から離れて行った。

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