◆126代 令和の天皇(浩宮徳仁親王)125代平成天皇の長男
■妻 小和田雅子 外務官僚小和田恒の娘
●敬宮 愛子内親王
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『入江相政日記』侍従長
1973年2月23日
御誕辰につき浩宮御参内。
あまり大きくおなりにならず、感じがまことに繊細である。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1978年2月23日
浩宮御誕生日の御挨拶に吹上に。
あらかじめ昭和両陛下がまだ御入りになっておらず、浩宮に3~4分廊下でお待ち願った。
昭和両陛下に対する女官の連絡が足りない。
昭和天皇の御着の直後に御入りを申し上げるべきだ。
1978年10月3日
今月から明仁皇太子〔平成天皇〕の定例御参内が火曜日になった。
浩宮が大学の都合で水曜日はよくないということから。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。(浩宮御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮を追い越してしまったという。
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『入江相政日記』侍従長
1980年2月19日
浩宮、加冠朝見習礼。
習礼の終わったところで東宮侍従〔平成天皇〕重田保夫が「評をしてあげろ」と言うから、
「満点。少しぐらい違ったってかまわない。堂々とおやりなさいませ」と申し上げる。
喜んでいらっしゃった。
1980年2月23日
浩宮、加冠の儀。
落ち着いていらっしゃって、御立派である。
1980年5月30日
富田長官から、靖国神社の松平永芳君が「浩宮は御成年におなりになったのだから、靖国神社に御参拝になるべきだ」と言ってきた由。
「そんなのほっとけば」と言う。
「そう思うけれど東宮御所〔平成天皇家〕は大騒ぎ」とか。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1980年2月25日
浩宮成年式祝宴。
中央に三殿下のお並びになるのを待って、昭和天皇にお発ちを申し上げた。
浩宮の皆様への挨拶の頭が高い。
1980年3月27日
浩宮御成年関係の行事も終わり、やれやれ。
騒ぎすぎではないか、マスコミ。
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『入江相政日記』侍従長
1983年3月14日
靖国神社の宮司松平永芳が馬鹿なこと、浩宮〔令和の天皇〕の御留学について反対を言ってきたとか。
1983年6月3日
昭和天皇から、浩宮御留学につき、秩父宮の留学・三笠宮寛仁親王の留学がうまく行かなかったこと、久邇宮との複雑な因縁をなかなかわかってくれないとか、浩宮が帰るまでの二年間生きていられるかなど、クヨクヨしたことをクドクドとおおせになる。
1983年12月13日
昭和天皇が中川融〔浩宮オックスフォード留学の主席随員・元国連大使〕に、
「秩父宮も三笠宮寛仁親王もオックスフォード留学は失敗だったが、浩宮の時はそんなことがないように」と仰せになったことにつき、
中川さんが「三笠宮寛仁親王のことは十分わかるが、秩父宮のはどういう御意味か」と言っていた由。
三笠宮寛仁親王は駐英大使平原毅に手紙を出して、浩宮がいろいろな人にお会いになるよう、それを大使館が妨げると言われたことも聞く。
1983年12月28日
昭和天皇が「秩父宮のオックスフォードの教育は失敗だった」と仰せの件伺う。
つまり不十分だったのと、秩父宮の性質によるが、参謀総長閑院宮載仁親王をダラ幹と言い、当時の軍の勢いに乗ったことなど、との仰せだった。
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『入江相政日記』侍従長
1985年2月6日
浩宮〔令和の天皇〕の御立派なこと、イギリス人がイギリスを御留学先にお選びくださったことを光栄であると言っていること、アスコット競馬でエリザベス女王がエジンバラ公との間に浩宮を据えて大事にしていらっしゃることなどまとめる。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1987年4月17日
東宮五殿下〔平成天皇一家〕御参内。
浩宮は御土産のブータンの民族衣装にて御参内。
1987年4月21日〔宮内記者との懇談会〕
浩宮の御相手について、昭和天皇が「血の濃くない方が望ましい」とお答えになる。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1987年10月3日
明仁皇太子〔平成天皇〕アメリカに御旅行のため、臨時代行委任解除。
浩宮に臨時代行委任。
熊本御旅行中の浩宮に勅書をお渡しするため、昨日徳川侍従長が熊本においでになり、今日ホテルでお渡しした。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1988年2月26日
二二六事件につき毎年お慎みであるが、明仁皇太子〔平成天皇〕と浩宮が今日から28日まで岩手県八幡平にスキーにお出かけになるので、
昭和天皇は「このような日に出発するとは慎みが足りない。しかも暗殺された内大臣斉藤実は岩手県出身でもある」というお気持ちが強い。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年4月5日
記者会の関心は徳仁皇太子と久邇晃子さん。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1991年2月24日
浩宮、立太子の礼。
今日の昼と夜と饗宴の儀が行われるので、首相以下閣僚が出席することになっているが、ブッシュ大統領が午後から声明を出すというのに、湾岸戦争が地上戦に突入した状況の下で外務大臣中山太郎などノンキに飲んでいてよいものか。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1993年1月6日
徳仁皇太子妃の報道が始まっているとのこと、テレビをつける。
1993年2月19日
NHKに納采の儀3月17日と抜かれたことに関し、また皇族からアタックありたる由。
1993年3月12日
本日より雅子さんの御進講〔お妃教育〕始まり、物々しい雰囲気漂う。
1993年6月9日
徳仁皇太子御成婚のため休日となる。
朝からテレビは特番ばかり。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1993年1月6日
徳仁皇太子妃決まるの報道。
夜から各テレビ局は一斉に徳仁皇太子妃内定のニュースを流し始めた。
数年前に候補者の一人として話題を集めながら、御本人が断ったということで立ち消えになっていた小和田雅子さん。
外交官としてバリバリの人。
相当な決断で別世界に入ることを決めたものと思われる。
外交官として身を立てるべく活躍してきたのだから、断念するにはそれなりの重大な決心がなければならないが、父娘ともに外務官僚であり父は次官の立場でもある。
外交官の先輩から膝詰めで決断を迫られれば、到底断りきれないだろう。
あたら英才を籠の鳥にしてしまうのはいかにも残念だが、徳仁皇太子の幸せのためにはやむをえないのか。
1993年1月19日
皇室会議。
徳仁皇太子と小和田雅子さんとの御結婚が会議で決定された。
御両人の記者会見、なかなか几帳面に長々と質問に答えていたのはさすがだが、苦悩の末の決断だったことを示すものと思う。
別にあった御両親の記者会見で、父親の「いろいろありましたが…」という苦渋に満ちたよどみがちな挨拶に、娘と小和田家のこれからの苦労や負担を考えると気が重いということがよく表れていた。
1993年4月12日
徳仁皇太子、納采の儀。
お妃教育やら御親族の夕食会やら、本来納采の儀の後行わるべきものと思われる行事が先行してしまっている。
納采の儀がいかに形式的なものかよくわかるが、もっととっくに行わるべきこと。
1993年6月9日
徳仁皇太子、結婚式。
テレビ朝から夜まで各局とも結婚式一色、少しはしゃぎすぎ。
徳仁皇太子夫妻のパレードは雨天ならオープンカーは取りやめるとのことだったが、直前になって雨が上がり沿道を埋めた17万の人達を喜ばせた。
過剰警備が目立ったが、少し混雑で怪我人が出た程度でさしたることもなく終わった。
雅子妃の洋装がよく似合った。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1999年12月10日
早暁電話のベルで起こされ睡眠不足気味。
雅子妃の懐妊情報について。
NHK・朝日はトップニュースに。
小和田夫人も古川東宮大夫も聞いてないと言う。
1999年12月30日
東宮職から流産の発表入り、井関皇太后大夫に伝達。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
2000年1月19日
大正13年・14年の記録を見る。
照宮成子内親王〔第一子〕御懐妊のスクープも朝日、まだ発表の段階ではないと対応を練るところまで〔現在と〕そっくり。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
2001年12月1日
テレビをつけたら内親王御誕生の報あり。
同じニュースの繰り返し。
雅子妃の御出産ばかり。
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■妻 小和田雅子 外務官僚小和田恒の娘
●敬宮 愛子内親王
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『入江相政日記』侍従長
1973年2月23日
御誕辰につき浩宮御参内。
あまり大きくおなりにならず、感じがまことに繊細である。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1978年2月23日
浩宮御誕生日の御挨拶に吹上に。
あらかじめ昭和両陛下がまだ御入りになっておらず、浩宮に3~4分廊下でお待ち願った。
昭和両陛下に対する女官の連絡が足りない。
昭和天皇の御着の直後に御入りを申し上げるべきだ。
1978年10月3日
今月から明仁皇太子〔平成天皇〕の定例御参内が火曜日になった。
浩宮が大学の都合で水曜日はよくないということから。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1979年1月17日
夜、東宮四殿下御参内。(浩宮御不参)
秋篠宮いよいよ背が伸び、もう浩宮を追い越してしまったという。
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『入江相政日記』侍従長
1980年2月19日
浩宮、加冠朝見習礼。
習礼の終わったところで東宮侍従〔平成天皇〕重田保夫が「評をしてあげろ」と言うから、
「満点。少しぐらい違ったってかまわない。堂々とおやりなさいませ」と申し上げる。
喜んでいらっしゃった。
1980年2月23日
浩宮、加冠の儀。
落ち着いていらっしゃって、御立派である。
1980年5月30日
富田長官から、靖国神社の松平永芳君が「浩宮は御成年におなりになったのだから、靖国神社に御参拝になるべきだ」と言ってきた由。
「そんなのほっとけば」と言う。
「そう思うけれど東宮御所〔平成天皇家〕は大騒ぎ」とか。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1980年2月25日
浩宮成年式祝宴。
中央に三殿下のお並びになるのを待って、昭和天皇にお発ちを申し上げた。
浩宮の皆様への挨拶の頭が高い。
1980年3月27日
浩宮御成年関係の行事も終わり、やれやれ。
騒ぎすぎではないか、マスコミ。
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『入江相政日記』侍従長
1983年3月14日
靖国神社の宮司松平永芳が馬鹿なこと、浩宮〔令和の天皇〕の御留学について反対を言ってきたとか。
1983年6月3日
昭和天皇から、浩宮御留学につき、秩父宮の留学・三笠宮寛仁親王の留学がうまく行かなかったこと、久邇宮との複雑な因縁をなかなかわかってくれないとか、浩宮が帰るまでの二年間生きていられるかなど、クヨクヨしたことをクドクドとおおせになる。
1983年12月13日
昭和天皇が中川融〔浩宮オックスフォード留学の主席随員・元国連大使〕に、
「秩父宮も三笠宮寛仁親王もオックスフォード留学は失敗だったが、浩宮の時はそんなことがないように」と仰せになったことにつき、
中川さんが「三笠宮寛仁親王のことは十分わかるが、秩父宮のはどういう御意味か」と言っていた由。
三笠宮寛仁親王は駐英大使平原毅に手紙を出して、浩宮がいろいろな人にお会いになるよう、それを大使館が妨げると言われたことも聞く。
1983年12月28日
昭和天皇が「秩父宮のオックスフォードの教育は失敗だった」と仰せの件伺う。
つまり不十分だったのと、秩父宮の性質によるが、参謀総長閑院宮載仁親王をダラ幹と言い、当時の軍の勢いに乗ったことなど、との仰せだった。
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『入江相政日記』侍従長
1985年2月6日
浩宮〔令和の天皇〕の御立派なこと、イギリス人がイギリスを御留学先にお選びくださったことを光栄であると言っていること、アスコット競馬でエリザベス女王がエジンバラ公との間に浩宮を据えて大事にしていらっしゃることなどまとめる。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1987年4月17日
東宮五殿下〔平成天皇一家〕御参内。
浩宮は御土産のブータンの民族衣装にて御参内。
1987年4月21日〔宮内記者との懇談会〕
浩宮の御相手について、昭和天皇が「血の濃くない方が望ましい」とお答えになる。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1987年10月3日
明仁皇太子〔平成天皇〕アメリカに御旅行のため、臨時代行委任解除。
浩宮に臨時代行委任。
熊本御旅行中の浩宮に勅書をお渡しするため、昨日徳川侍従長が熊本においでになり、今日ホテルでお渡しした。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1988年2月26日
二二六事件につき毎年お慎みであるが、明仁皇太子〔平成天皇〕と浩宮が今日から28日まで岩手県八幡平にスキーにお出かけになるので、
昭和天皇は「このような日に出発するとは慎みが足りない。しかも暗殺された内大臣斉藤実は岩手県出身でもある」というお気持ちが強い。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1990年4月5日
記者会の関心は徳仁皇太子と久邇晃子さん。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1991年2月24日
浩宮、立太子の礼。
今日の昼と夜と饗宴の儀が行われるので、首相以下閣僚が出席することになっているが、ブッシュ大統領が午後から声明を出すというのに、湾岸戦争が地上戦に突入した状況の下で外務大臣中山太郎などノンキに飲んでいてよいものか。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1993年1月6日
徳仁皇太子妃の報道が始まっているとのこと、テレビをつける。
1993年2月19日
NHKに納采の儀3月17日と抜かれたことに関し、また皇族からアタックありたる由。
1993年3月12日
本日より雅子さんの御進講〔お妃教育〕始まり、物々しい雰囲気漂う。
1993年6月9日
徳仁皇太子御成婚のため休日となる。
朝からテレビは特番ばかり。
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『小林忍日記』昭和天皇の侍従
1993年1月6日
徳仁皇太子妃決まるの報道。
夜から各テレビ局は一斉に徳仁皇太子妃内定のニュースを流し始めた。
数年前に候補者の一人として話題を集めながら、御本人が断ったということで立ち消えになっていた小和田雅子さん。
外交官としてバリバリの人。
相当な決断で別世界に入ることを決めたものと思われる。
外交官として身を立てるべく活躍してきたのだから、断念するにはそれなりの重大な決心がなければならないが、父娘ともに外務官僚であり父は次官の立場でもある。
外交官の先輩から膝詰めで決断を迫られれば、到底断りきれないだろう。
あたら英才を籠の鳥にしてしまうのはいかにも残念だが、徳仁皇太子の幸せのためにはやむをえないのか。
1993年1月19日
皇室会議。
徳仁皇太子と小和田雅子さんとの御結婚が会議で決定された。
御両人の記者会見、なかなか几帳面に長々と質問に答えていたのはさすがだが、苦悩の末の決断だったことを示すものと思う。
別にあった御両親の記者会見で、父親の「いろいろありましたが…」という苦渋に満ちたよどみがちな挨拶に、娘と小和田家のこれからの苦労や負担を考えると気が重いということがよく表れていた。
1993年4月12日
徳仁皇太子、納采の儀。
お妃教育やら御親族の夕食会やら、本来納采の儀の後行わるべきものと思われる行事が先行してしまっている。
納采の儀がいかに形式的なものかよくわかるが、もっととっくに行わるべきこと。
1993年6月9日
徳仁皇太子、結婚式。
テレビ朝から夜まで各局とも結婚式一色、少しはしゃぎすぎ。
徳仁皇太子夫妻のパレードは雨天ならオープンカーは取りやめるとのことだったが、直前になって雨が上がり沿道を埋めた17万の人達を喜ばせた。
過剰警備が目立ったが、少し混雑で怪我人が出た程度でさしたることもなく終わった。
雅子妃の洋装がよく似合った。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
1999年12月10日
早暁電話のベルで起こされ睡眠不足気味。
雅子妃の懐妊情報について。
NHK・朝日はトップニュースに。
小和田夫人も古川東宮大夫も聞いてないと言う。
1999年12月30日
東宮職から流産の発表入り、井関皇太后大夫に伝達。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
2000年1月19日
大正13年・14年の記録を見る。
照宮成子内親王〔第一子〕御懐妊のスクープも朝日、まだ発表の段階ではないと対応を練るところまで〔現在と〕そっくり。
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卜部亮吾『侍従日記』昭和天皇の侍従
2001年12月1日
テレビをつけたら内親王御誕生の報あり。
同じニュースの繰り返し。
雅子妃の御出産ばかり。
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