◆10代 松平直静  明石藩主松平斉韶の子・婿養子になる 最後の藩主
1848-1913

1079(1)



■前妻 松平釣子  8代松平直春の娘
1874年没


■後妻 佐竹安屋  8代松平直春の娘・前妻の妹・久保田新田藩主佐竹義理の養女
1884年没


●長男 松平直幹  11代当主
●男子 松平静徳  宮坂宝寿恵と結婚
●男子 松平実之助 富岡米八の娘富岡郷子と結婚

●女子 松平晴子  柴田守正と結婚


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◆11代 松平直幹 10代直静の子
1878-1944

1080(1)



■妻  上杉琉子 上杉茂憲伯爵の娘
1883-1931 

1080(2)



●長女 松平恭子 婿養子を迎え12代当主とする


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◆12代 松平直鎮 南部利克子爵の子・婿養子になる
1901-1972


■妻  松平恭子 11代直幹の娘
1906-1987

1080(3)



●男子 松平直慶 13代当主
●男子 松平直久 渡辺恒二の娘渡辺福美と結婚

●女子 松平慎子 小代光輝と結婚
●女子 松平恵子


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田島道治『拝謁記』宮内庁長官

1952年3月7日
昭和天皇◆松平直鎮は1~2年前だったか、久邇宮朝融王と一緒に来て、何か神がかりの迷信のようなことを言うから反対したことがある。
〈北辰教〉のやり方は真に困る。
そういう邪教はどうしてできるか。
信仰の自由は困るねー。

1952年3月10日
田島長官◆久邇宮朝融王の事は、永積侍従からも入江侍従からも聞きましたような事をまた聞きまして、永積は松平直鎮子爵から朝融王の御書を取り戻したいような希望も申しておりましたが、とにかく朝融王が北辰神社に御関係なきことは絶対必要と思いましてお目にかかりました。
「今日は何のお叱りを受けますか」というような態度でおいででありましたが、話の筋はよくおわかりになりました。
「直鎮が私に来てくれと言い、風邪で行けないと言ったら、書いた物をと言うことでやったのだ」との話でありました。

1953年3月30日
田島長官◆松平直鎮子爵は今もどうも良くありませんようで経済上も良くなく、朝融王に御紹介して何かいいことでもあるのではないかと察されます。
昭和天皇◆松平直鎮は私の所にも変な神様に関して言ってきたが、私は皇室は神道以外はお断りするとはっきり断ったものだから、それきり来ないよ。
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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長※当時は侍従

1954年8月19日〔北海道巡幸〕
久邇宮朝融王が松平直鎮子爵と本荘千代とかいう神がかりの女に囲まれてニセコに来られ御対面願いたいということなので、断然おやめ願うべきであると主張し、まず良子皇后の同意を得て、続いて昭和天皇のお許しも得て、北海道庁を通じて断っておいたのに、またいらっしゃるとのこと。
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『入江相政日記』昭和天皇の侍従長

1982年3月10日
昭和天皇より、元宮内庁長官田島道治が久邇宮朝融王・徳川喜好・松平直鎮の神がかりをとめてくれたときのいきさつは、東本願寺問題の参考になりはしないかとの仰せ。

1982年3月12日
久邇宮朝融王の神がかりを田島元長官が取りしずめたのを参考にして東本願寺が何とかなるまいかとの昭和天皇の仰せにつき徳川侍従次長と相談。
今度のとはまったく性質が違うし、内藤君が一生懸命やっているから、もうしばらく様子を御覧になっていただきたいと申し上げる。
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◆13代 松平直慶  12代直鎮の子
1930年生


■妻  佐々木サエコ 佐々木重彦の娘
1932年生


●長男