◆初代伯爵 烏丸光亨 先代烏丸光徳の子 「華族中の奇人」として有名
1865-1909
1879年 16歳
■妻 勘解由小路操子 勘解由小路資生子爵の娘
1868年生
●長男 烏丸光大 2代
●二男 烏丸光孚
●三男 烏丸光明 七条光明となる
●長女 烏丸花子 烏丸尊弘と結婚・女官〈初花の局〉
●二女 烏丸園子 枝吉文種と結婚
●三女 烏丸紅子
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『徳富蘆花日記』
1917年12月29日〔大正天皇の女官烏丸花子退職〕
烏丸花子〈初花の局〉が宮中を出たと新聞にある。
お妾の一人なんめり。
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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人
1913年頃、侍従長徳大寺実則の推薦で貞明皇后のお控えとして入ってきた美しい娘がいた。
彼女は先祖に大納言を持つ烏丸伯爵の娘で、代々権典侍の資格のある家柄であった。
小柄な娘であったが、その美しさは美人の多い女官の中でも、もちろん世間でもまれにみるほどであった。
丸顔で、眉が秀でていて、どこまでも冴えた二つの大きな美しい目を持っていた。
笑うとエクボが出た。
しかしそれほどの美人でいながら少しも剣がなかった。
彼女は権掌侍になり、初花の局〔烏丸花子〕という源氏名をいただいた。
それから7年ほど経ったある日、私は私の家の主人筋にあたる岡山池田侯爵から不意に呼び出しを受けた。
「君からひとつ皇后宮大夫大森鍾一に伝えてもらいたいことがあるのでね、それで呼んだのだ。
『一人の女官が承知すれば無事に納まることだからよろしくお頼みする』と、ただそう言ってもらえばいいのだ。お願いしたよ」
それだけであった。
私はすぐ大森大夫の官邸に行って、池田侯爵の言葉を直々大森大夫に伝えた。
ところが大森大夫はいつになく狼狽した様子で𠮟りつけるように言った。
「この問題は君などが口を挟むことじゃない!引っ込んでいたまえ!」
私は呆然として引き下がるより仕方がなかった。
いろいろ考えてみたか、かいもく見当がつかない。
癪にも触るし、気も滅入る。
自宅に戻ると大森大夫から使いが来ていてすぐ来てくれと言う。
なにがなんだかわからないが、官邸に引き返して大森大夫の前に出ると、さっきとは打って変わって言葉である。
「先刻は失礼した。君の家は池田の家臣だったんだね。しかし烏丸権掌侍の問題にはちゃんとした証拠が挙がっているんだよ。これはどうしようもないのだ。一つこのことは絶対に秘密にして手を引いてもらえまいか」とさながら懇願する態度である。
私は手を引くも引かぬもない、ただ池田侯爵の言葉を伝えただけである。
もちろん私は承知した旨を述べて引き下がったが、烏丸権掌侍とは意外であった。
かえって秘密にされていた事件の内容に触れたことになってしまった。
翌朝早く不意に父が私を訪れてきた。
「烏丸さんの問題はよほど大事件らしい。お前ごとき身分では荷が重すぎる。早く手を引いた方がいい」
そう言って私が質問するのも恐れるかのように慌てて帰ってしまった。
池田侯爵の姉に当る人が烏丸権掌侍の兄のところに嫁に行っていたから、両家は親類であったのだ。
石山侍従は少年の頃から陛下の御給仕すなわち侍従職出仕を務めてきた男で、出仕の時から奥に出入りしていたのであった。
侍従職出仕というのは成人すると侍従に任官されるのであるが、侍従職出仕は少年であるので奥への出入りも自由になっていたのである。
そういうわけで石山侍従出仕は侍従に任官してからも、自然と以前の習慣通りに女官の所へも出入りしていたのであった。
彼はまだ若く、色の白いキリッとした顔立ちの美青年であった。
石山侍従と烏丸権掌侍は同時に退官になった。
退官になった二人からは、何一つ反駁は行われなかった。
やはり二人は関係があったのかと思わないわけにはいかなかった。
ところが退官してから後も、石山侍従は侍従職から月1,000円づつ御手当を頂いているという噂が耳に入った。
何のために石山に1,000円の手当を出さねばならぬのだろう。
その金が御納戸金から出ているとすれば、外部には絶対に漏れるものではない。
烏丸権掌侍は縁続きの武者小路家に出入りしていた神官と結婚した。
おそらくその神官が灸点に詳しかったのであろう。
一時原宿で灸点をやって相当に流行っているということも聞いたが、近ごろ新聞に〈烏丸灸〉の広告が出ているのを見ると、やはり今も灸点師としてそれ相当の暮らしを立てているのだろう。
10年ぐらい前にある人から、
「縁談の世話をしようと思っているんだが、その娘さんは大正天皇の御落胤だという噂のある人でねえ」と言うので、
「それは烏丸さんの娘さんじゃないかね?」と言うと、
「そうなんだよ」と言うことであった。
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梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子 明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉
石山侍従は問題を起してクビになった方です。
石山さんてくそ真面目なほど真面目な方でしたよ。
でも権掌侍烏丸花子さんの事件が起きて。
烏丸さんはきれいな可愛らしい顔してらして、良い方でしたよ。
だけど石山さんは石部金吉と言われるほどカチカチの〈お固さん〉でしたがね。
だから本当にそうだったかどうだかわからないですよ。
みんなが問題を作り上げたかもしらん。
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◆2代 烏丸光大 1代光亨の子
1885-1950
■妻 池田鋠子 池田詮政侯爵の娘
1892-1961
●長男 烏丸光喬 3代
●二男 烏丸光晴 桜井クニエの婿養子になる
●三男 烏丸光照
●長女 烏丸啓子
●二女 烏丸紀子 佐々木迪怜と結婚
●三女 烏丸章子 谷本二喜雄と結婚
1934年 烏丸啓子・烏丸章子
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◆3代 烏丸光喬 2代光大の子
1918年生
■妻 杤木多計子 財界人杤木嘉郎の娘
1920年生
●長女
●二女
1865-1909
1879年 16歳
■妻 勘解由小路操子 勘解由小路資生子爵の娘
1868年生
●長男 烏丸光大 2代
●二男 烏丸光孚
●三男 烏丸光明 七条光明となる
●長女 烏丸花子 烏丸尊弘と結婚・女官〈初花の局〉
●二女 烏丸園子 枝吉文種と結婚
●三女 烏丸紅子
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『徳富蘆花日記』
1917年12月29日〔大正天皇の女官烏丸花子退職〕
烏丸花子〈初花の局〉が宮中を出たと新聞にある。
お妾の一人なんめり。
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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人
1913年頃、侍従長徳大寺実則の推薦で貞明皇后のお控えとして入ってきた美しい娘がいた。
彼女は先祖に大納言を持つ烏丸伯爵の娘で、代々権典侍の資格のある家柄であった。
小柄な娘であったが、その美しさは美人の多い女官の中でも、もちろん世間でもまれにみるほどであった。
丸顔で、眉が秀でていて、どこまでも冴えた二つの大きな美しい目を持っていた。
笑うとエクボが出た。
しかしそれほどの美人でいながら少しも剣がなかった。
彼女は権掌侍になり、初花の局〔烏丸花子〕という源氏名をいただいた。
それから7年ほど経ったある日、私は私の家の主人筋にあたる岡山池田侯爵から不意に呼び出しを受けた。
「君からひとつ皇后宮大夫大森鍾一に伝えてもらいたいことがあるのでね、それで呼んだのだ。
『一人の女官が承知すれば無事に納まることだからよろしくお頼みする』と、ただそう言ってもらえばいいのだ。お願いしたよ」
それだけであった。
私はすぐ大森大夫の官邸に行って、池田侯爵の言葉を直々大森大夫に伝えた。
ところが大森大夫はいつになく狼狽した様子で𠮟りつけるように言った。
「この問題は君などが口を挟むことじゃない!引っ込んでいたまえ!」
私は呆然として引き下がるより仕方がなかった。
いろいろ考えてみたか、かいもく見当がつかない。
癪にも触るし、気も滅入る。
自宅に戻ると大森大夫から使いが来ていてすぐ来てくれと言う。
なにがなんだかわからないが、官邸に引き返して大森大夫の前に出ると、さっきとは打って変わって言葉である。
「先刻は失礼した。君の家は池田の家臣だったんだね。しかし烏丸権掌侍の問題にはちゃんとした証拠が挙がっているんだよ。これはどうしようもないのだ。一つこのことは絶対に秘密にして手を引いてもらえまいか」とさながら懇願する態度である。
私は手を引くも引かぬもない、ただ池田侯爵の言葉を伝えただけである。
もちろん私は承知した旨を述べて引き下がったが、烏丸権掌侍とは意外であった。
かえって秘密にされていた事件の内容に触れたことになってしまった。
翌朝早く不意に父が私を訪れてきた。
「烏丸さんの問題はよほど大事件らしい。お前ごとき身分では荷が重すぎる。早く手を引いた方がいい」
そう言って私が質問するのも恐れるかのように慌てて帰ってしまった。
池田侯爵の姉に当る人が烏丸権掌侍の兄のところに嫁に行っていたから、両家は親類であったのだ。
石山侍従は少年の頃から陛下の御給仕すなわち侍従職出仕を務めてきた男で、出仕の時から奥に出入りしていたのであった。
侍従職出仕というのは成人すると侍従に任官されるのであるが、侍従職出仕は少年であるので奥への出入りも自由になっていたのである。
そういうわけで石山侍従出仕は侍従に任官してからも、自然と以前の習慣通りに女官の所へも出入りしていたのであった。
彼はまだ若く、色の白いキリッとした顔立ちの美青年であった。
石山侍従と烏丸権掌侍は同時に退官になった。
退官になった二人からは、何一つ反駁は行われなかった。
やはり二人は関係があったのかと思わないわけにはいかなかった。
ところが退官してから後も、石山侍従は侍従職から月1,000円づつ御手当を頂いているという噂が耳に入った。
何のために石山に1,000円の手当を出さねばならぬのだろう。
その金が御納戸金から出ているとすれば、外部には絶対に漏れるものではない。
烏丸権掌侍は縁続きの武者小路家に出入りしていた神官と結婚した。
おそらくその神官が灸点に詳しかったのであろう。
一時原宿で灸点をやって相当に流行っているということも聞いたが、近ごろ新聞に〈烏丸灸〉の広告が出ているのを見ると、やはり今も灸点師としてそれ相当の暮らしを立てているのだろう。
10年ぐらい前にある人から、
「縁談の世話をしようと思っているんだが、その娘さんは大正天皇の御落胤だという噂のある人でねえ」と言うので、
「それは烏丸さんの娘さんじゃないかね?」と言うと、
「そうなんだよ」と言うことであった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
梨木止女子→坂東長康の妻坂東登女子 明治天皇・大正天皇に仕えた女官〈椿の局〉
石山侍従は問題を起してクビになった方です。
石山さんてくそ真面目なほど真面目な方でしたよ。
でも権掌侍烏丸花子さんの事件が起きて。
烏丸さんはきれいな可愛らしい顔してらして、良い方でしたよ。
だけど石山さんは石部金吉と言われるほどカチカチの〈お固さん〉でしたがね。
だから本当にそうだったかどうだかわからないですよ。
みんなが問題を作り上げたかもしらん。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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◆2代 烏丸光大 1代光亨の子
1885-1950
■妻 池田鋠子 池田詮政侯爵の娘
1892-1961
●長男 烏丸光喬 3代
●二男 烏丸光晴 桜井クニエの婿養子になる
●三男 烏丸光照
●長女 烏丸啓子
●二女 烏丸紀子 佐々木迪怜と結婚
●三女 烏丸章子 谷本二喜雄と結婚
1934年 烏丸啓子・烏丸章子
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◆3代 烏丸光喬 2代光大の子
1918年生
■妻 杤木多計子 財界人杤木嘉郎の娘
1920年生
●長女
●二女


