■神戸本邸 神戸市加納町


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■父  川崎正蔵 呉服商川崎利右衛門の子 造船王
1837-1912


■母  松本スミ 鹿児島県平民松本貞次郎の娘
1840年生


●二女 川崎チカ 1868年生 婿養子を迎え初代男爵とする


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◆初代男爵 川崎芳太郎 川崎正蔵の甥/鬼塚善兵衛の子
1869-1920


■妻  川崎チカ  先代川崎正蔵の娘・イトコ結婚
1868年生


●長男 川崎武之助 1893年生 2代当主
●二男 川崎芳熊  1896年生 3代当主
●三男 川崎金蔵  1900年生 三井鉱山重役崎川茂太郎の娘崎川静代と結婚
●四男 川崎芳虎  1902年生 山内豊静男爵の娘山内信子と結婚
●五男 川崎芳治  1905年生 上田義行の妹上田宣子と結婚

●長女 川崎福子  1898年生 神戸高女出身 フランス文学者成瀬正一と結婚




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1927年『お鯉物語』安藤照子・芸者お鯉・15代目市村羽左衛門と離婚・首相桂太郎の妾


日露戦争勃発、時の内閣は第一次の桂太郎内閣。
元来桂公爵は軍事と政治の他に別段これという道楽の持ち合せがなかった。
「なにか気分転換に役立つものはなかろうか」
当時の元老・大臣らが一様に思い悩んだのがこれであった。
最も心配したのは山県有朋公爵で、世間では厳格そのもののように見なされていたが、山県公爵はあれでなかなか行き届いた粋なお人であった。
お鯉は最初芸者に出た時から山県公爵には一方ならぬ御贔屓を被っている。

その後の桂公爵とお鯉の姿は、10日に一度ぐらい新橋界隈で見かけられた。
たまにお座敷に見えても、多くが山県公爵や井上侯爵と一緒である。
お鯉が顔を出すと、「お鯉、どうかね。よく桂を慰めてやってくれよ」
両人、決まってこうおっしゃる。
時に現れたのが世話好きの大通人平岡凞大尽、いっそお鯉を買い切って置くがよろしいということになった。
買い切りにすると一日のお約束が一つの計算であるから、1カ月170円ぐらいにしかならない。
そのころのお鯉はたいてい1カ月300円以上の収入があったので割に合わない話だった。
そして朝の9時から夜の9時まで瓢屋の平岡大尽の御座敷に詰め切って、ただ座っているのである。
平岡大尽は芸者を集めて毎日毎日飽きもせずに遊んでいるので、お鯉もその中に座らされて1日3円の御祝儀をいただくのである。
1週に1度か10日に1度桂公爵が見えるほかは、毎日ただこうして座っている。
そして夜の9時になると、平岡大尽がお鯉の自宅まで送ってくれる。
決して楽な仕事ではなかった。

こうした退屈な日を送っているところへ、田中屋の女将が川崎芳太郎の上京を知らせてきた。
川崎さんは神戸で造船所を経営している人で、お鯉はかねてから御贔屓を受けていた。
上京の都度、何かしら土産物をお持ちになるほどの御馴染であった。
「女将さん、私はどこへも行かれないんですよ」
「それはよくわかってるんだが、川崎さんはいつもの通りすぐ帰るんだしね。お土産の上布も届いているよ。またいつものように武蔵屋のオモチャでもお子さんにお上げするんだろうから。何もかもわかりきってる私の家だもの、後で知れてもかまわないと思うよ」
お土産のお礼も言い、お返しもせねばならぬ。
お鯉が田中家での川崎さんのお座敷に出かけてから2~3日過ぎてのことである。
お鯉はいつもの通り朝の9時から平岡大尽のお座敷につめていたが、平岡大尽から急にお客をするからその席に出てくれと言われた。
席には松方正義公爵・井上馨侯爵らと共に川崎さんがいた。
平岡大尽は突然例の皮肉な口調で、川崎さんに一太刀浴びせた。
「川崎さん、あなたなかなかお偉いんですね。田中屋の出合は粋なことで。とにかく総理大臣を向こうに回して腕を見せようと言うんですからね」
生来温和な川崎さんはなんとも言い返すことができず、ただ困ったような顔をしている。
耳の悪い松方公爵、「なんだ、なんだ、川崎がどうした」
女将が説明をする。
「ふだんから川崎さんがお鯉さんを贔屓にしていて、今度神戸から出てこられたので田中家へ呼ばれて行ったのだそうです。ところがお鯉さんは桂の御前さんに買い切られているので、それが問題になったらしいのです」
下を向いたままじっと黙っている川崎さんを見て、お鯉は気の毒でたまらない。
女の争いには嫉妬がある、商売敵がある。
瓢屋に買い切られているお鯉が、内緒で田中家に行ったということは、花柳界に覇を争う待合同士には容易ならぬ問題であったろう。
そこへもってきて自分に一言の断りもなくお鯉が川崎さんのお座敷に顔を出したと聞いた平岡大尽が、大通人の面目を潰されたと思ったのであろう。

総理大臣を向こうに回して、その買い切りの芸者を横取りしたように、場所もあろうか元老大臣の居並ぶ席上ですっぱ抜かれた川崎氏は途方に暮れてしまった。
お鯉は川崎さんの定宿木挽町の岡本旅館を訪れた。
「私は覚悟してきました。この上はあなたのお考え次第です。」
「どういうことなんです」
「あまりにお気の毒ですから、私はあなたのお顔を立てたいと存じます。今でも私は芸者なんですから、あなたの御決心次第でどうにでもなります。総理大臣でもただのお客でも、芸者の私から見れば何の違いもありません。もしあなたさえそのお心なら、私をどうか神戸へ連れて行ってください。どうにでも思召のままになりましょう」
「あなたの好意は川崎芳太郎生涯忘れません。大勢の中でとんでもない恥をかかされながら、私は我慢し通しました。今あなたのうれしい心意気を聞いて、本当に感謝しています。私とあなたは数年来親しい友だちつきあいをしてきました。神戸に帰ると家内にも話して聞かせ、家内も喜んで私の上京の都度『これはお鯉さんに』と心を配り、あなたもまた家内に子供にと何かと心づけてくれる。ここで私があなたを連れて帰ったとしても、私は養子の身の上です。あなたは生涯妾ということになります。また私は仕事の関係上、今度の戦争で総理大臣とはいろいろな交渉を持つ者です。どうぞ川崎を男にして置いてください」
分別盛りの38歳、事業の前には忍び難きを忍ぶ男の意気が潜んでいた。

東京を立つ夜、田中家にもお鯉にも迷惑をかけたということで、川崎さんは田中家の女将とお鯉を呼んで小宴を張った。
女将は新橋の丸子時代から泣き上戸で評判の人だけに、手放しで泣き出した。
「くやしい、くししいったらありゃしない。瓢屋は私の家をしくじらせるつもりなんだよ。それにお鯉さんもしくじらせようとするのさ。こうなれば意地でも落籍すところなんだが、それもできないし」
口説いては泣き、泣いては口説く。
その後川崎さんは上京してもお鯉を呼ぶことはなくなった。
しかし帰ってから必ず女将とお鯉に大島の揃いを贈り届けられた。
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◆2代男爵 川崎武之助 初代男爵川崎芳太郎の子
1893-1946


■妻  嵯峨賢子  嵯峨公勝侯爵の娘 学習院出身
1898-1981


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◆3代 川崎芳熊 初代男爵川崎芳太郎の子
1896-1971


■妻  岡部久子 岡部長職子爵の娘
1903年生


●長男 川崎芳久 1926年生
●二男 川崎芳孝 1933年生

●長女 川崎敏子 1928年生 倉敷紡績社長山内信と結婚
●二女 川崎澄子 1931年生 作家久坂葉子


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『岡部長景日記』文部大臣※当時は内大臣秘書官長

※岡部長景は川崎芳熊の妻岡部久子の兄

1929年4月18日
川崎芳熊君が訪ねて来てくれた。
例により黒いが、良い性質の所有者たることは眉字の間にもうかがわれた。
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