◆124代 昭和天皇(迪宮裕仁親王)123代大正天皇の長男
1901-1989 87歳没


■妻  香淳皇后  久邇宮良子女王 久邇宮邦彦王の娘
1903-2000 97歳没



●継宮 明仁親王  125代平成天皇
●義宮 正仁親王  常陸宮

●照宮 成子内親王 東久邇盛厚王と結婚
●久宮 祐子内親王 早逝
●孝宮 和子内親王 鷹司平通と結婚
●順宮 厚子内親王 池田隆政と結婚
●清宮 貴子内親王 島津久永と結婚


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『高松宮日記』

1933年12月23日
皇子御誕生の由。
7時少し過ぎに電話にて承知。
まことに私も重荷の下りたようなうれしさを、考えてみればおかしな話ながら、感じてやまず。

1933年12月29日
参内。
新宮に見上げたり。
とても赤いお顔にて、お鼻大きく高く見受けたり。
シャンペンの杯をあげ、退出。
継宮とはちょっとおかしい気がしたが、よくよく明仁とつけてみると良いお名なり。
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『高松宮日記』

1934年1月7日
新宮が御誕生になってみな大喜びだ。
しかしお兄様〔秩父宮〕も御同感のようだが、はやり御教育方法が心配になる。
新宮の御養育御教導ほど重大な問題はあるまい。
すでに照宮その他の方々の御養育で経験もある通り、早くその方策を決定し計画を立ててかからねば失敗するであろう。
そしてこれは一般論ではいけないので、現実に即し今日に適した特殊な方法でなくてはならぬ。
昭和両陛下は共に極めて御やさしい。
おそらく本当に御叱りになることはあるまい。
しかも二方とも大して御強壮な身体でない場合、そこに生まれる御子は気丈な方でない方が普通であろう。
してその上に育て方が弱々しくされることによって、男さんについて果たしてどうであろうか。
照宮成子内親王ですら、魚屋とか何屋とか果てはお寺というような物についての概念を持っていられないで、国語読本等に関する興趣もおわきにならず困るような話である。
まして御成人後はいよいよ下情に遠ざかられる立場の方が、自由なるべき小学時代までをそんなことで甚だ困りものである。
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『高松宮日記』

1937年7月10日
照宮成子内親王をお招きして夕食。
映画を御覧に入れた。
照宮成子内親王はまったく張り合いなきくらいお静かなり。
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『木戸幸一日記』内大臣

1937年3月11日
広幡太夫より、照宮成子内親王と東久邇宮盛厚王との御縁談につき、節子皇太后〔貞明皇后〕に言上の結果を聴く。
すぐに宮内大臣・宮内次官とも協議の上、東久邇宮邸に伺候、東久邇宮聡子東久邇宮に拝謁し、上記の件につき、昭和両陛下におかせられては右の成立を御希望あらせらるる旨を申し上げ、御受あいなるよう御勧め申し上ぐ。
なお稔彦王殿下の御意向もあることなれば、名古屋より帰京のうえ御返事すべきむね御話ありたり。

1937年3月23日
御召により東久邇宮邸に伺候、東久邇宮殿下に拝謁。
東久邇宮殿下より、先日言上せし件の御返事を承る。
「過日話のありたる厚盛に照宮を戴くことは、自分ならびに泰宮〔聡子妃殿下〕において異存なく、ありがたく御受申し上る。なお盛厚にも話せしに、『しばらく考えさせてくれ』とのことなりしが、『御受申し上げる。ただ自分はいまだ生徒の身で何もわからないから、将来ああもしてもらいたい、こうもしてもらいたいということがあるかもしれないが、その場合無理でないことは容れてもらいたい」との話であった。右様の次第で、3人とも異存なく喜んで御受するから、どうかその御返事を申し上げてもらいたい」とのことであった。
太夫より昭和両陛下へ奏上、万事好都合に運びたるむね報告を受く。
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『入江相政日記』侍従長

1938年6月15日
約1時間女官雪井良子からいろいろ訴えられる。
小倉満子・大迫セイコ・雪井良子と3人御養育係が鼎立していることがどうも具合が悪いのだ。
悪いことは分かっているが、なんとかなりそうなものなのだが。
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『高松宮日記』

1943年1月18日
皇后宮大夫広幡忠隆より明仁皇太子御学問所に関する研究経緯を聞く。
現在明仁皇太子は算術なども一般より計算等に時間がおかかりになるが答は間違いなくなさるので知能の方は普通であるが、やはり御身体の方が考慮を要する点なり。
宮内大臣松平恒雄の意見にもあり、運動場を一般と一緒に御使いになり、その間に得るところ少なからずと考えその方針なり。

5月15日
照宮成子内親王御婚約につき参内。
内謁見所にて昭和両陛下・照宮御揃いにて御祝を御受あり。
御祝酒・サンドイッチ出る。

6月25日
照宮成子内親王の御新居拝見に行く。

10月13日
賢所で大前儀参列〔東久邇宮盛厚王&照宮成子内親王の婚儀〕
東久邇宮盛厚王余裕しゃくしゃくとして現わる。
照宮成子内親王美しく愛らしく見ゆ。
盛厚王御簾を出て縁の角にて振り返り、照宮の出てこられるのを見返した形、誠に優に優しい男ぶりなり。
照宮にこやかにて、さすがに朝は涙のあとも伺われたが、午後はあどけなく見ゆ。
盛厚王も無邪気、よき御夫婦、永く御幸福なれと祈る心地す。
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『高松宮日記』

1944年2月28日
明仁皇太子の御教育に関しては、かえって万世一系という国体に心易しとするためか、関心足らざるを感ず。
はるかに外国の国王・皇帝の後嗣の教育は直ちに皇室の存続の問題として本能的に考えられ、自他ともに熱心に厳格適切に行わるるにあらずや。
今時局の困難に直面し将来如何なる事態となるも、いよいよ天皇の御素質・英明にまつこと大なるを思えば、いまだ幼き明仁皇太子の御身の上には実に容易ならぬ御苦労を願わざるを得ざるなり。
この意味でも速やかに成年の教育を受けしめ、一日も早く天皇として人格を備えらるるよう努めざるべからず。
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『高松宮日記』

1945年10月22日
明仁皇太子の御教育についても根本的に考えを改むる要あり。
すなわち外国人に対しても単に拝謁でなく、十分応待し得らるべき御教育を必要とす。
御留学もこの見地より考うべきなり。
アメリカかイギリスか、これは各々見方による。
長短あるべし。
アメリカとしてはイギリスはすでに世界的な国にあらずして、今後の問題はなんとしても米ソの問題しかもアメリカが関係を密にせざるべからざる国となるべし。
それには早く御留学になるを可とす。
同年輩のアメリカ人とお近づきになりあることは、将来の両国の提携に資すること極めて大なるべし。
アメリカ人の考え方を御理解ありて将来の日本の優れたるところを具現し給う上に、効果大なるべしとす。
イギリスとすれば王室を持って伝統ある国として他になきものなれば、その味わうべきものは深し、ただちに日本の皇室として例を求むるところ多く、将来親交を結ぶべき国として比すべきものなき国柄なりとなす。
御学問所についてもただちに考えを革めてかかるべき時なり。

12月18日
明仁皇太子久しぶりにてお目にかかる。
素直にお育ちの様子なり。
皇子御用掛伊地知ミキが退いて男の伝育官が積極的に御世話するようになって、かえってしっかりなさった。
御主人様であるが、お友だちとお遊びの時はまったくお子様らしいとのことなり。
しかも穂積大夫の御指導は良く、皇太子としての御教養に努めたものである。
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