<昭和時代の女官>

※昭和天皇は典侍・掌侍・命婦の区別を廃止し、女官の局制度を取り止めて通勤制にする。

女官の定員 10名
女嬬の定員 12名
 
女官長 竹屋志計子
女官  伊地知ミキ
女官  万里小路袖子 政治家猪野毛利栄と結婚
女官  北村民枝   銀行家と結婚
女官  津軽理喜子  細川行真子爵の子細川行雄が婿養子になるが離婚
女官  油小路裳子  実業家植村寅と結婚
女官  山岡淑子
女官  小倉満子

御用掛 高木多津雄  通訳




権典侍 万里小路袖子 政治家猪野毛利栄と結婚
0011



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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

万里小路袖子は節子皇后〔貞明皇后〕にいたが、昭和になってから良子皇后〔香淳皇后〕にお仕えしていたが、後に政治家猪野毛利栄と結婚した。

竹屋津根子〈山桃の局〉は老年のため辞めたが、その妹は現在良子皇后〔香淳皇后〕の女官長である。

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『侍従次長 河合弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1930年3月23日
女官山岡淑子に面会す。

1930年3月24日
良子皇后に拝謁し、山岡女官に対談せし模様の概略を言上す。
昭和天皇に右件につき奏上す。
「よくやった」との御言葉を拝す。
まことに恐懼の至りなり。
昭和天皇は侍従長鈴木貫太郎を召させられ、「河井に『よくやった』と言ったが、河井が責任を取ることのないよう話し置け」との御諚ありし由。
いっそう恐懼に堪えず。
山岡女官の件を事務官・女官・御用掛小倉満子に伝え、厳秘を命ず。

1930年3月25日
伊地知女官・北村女官に対し、山岡女官辞職のことを告ぐ。

宮内次官関屋貞三郎を訪う。
山岡女官を呼び、辞職の事由を問い、かつ大いに慰論せられんことを求む。
関屋次官より電話にて、山岡女官訪問の要領を報告せらる。

1930年3月27日
黒田事務官が山岡女官を訪問す。
山岡女官より辞表を受け取る。

1930年3月29日
木下事務官に対し、山岡女官辞表処理のことを依頼す。
宮内大臣一木喜徳郎も関屋次官も原案に同意を表せらる。
発令は4月1日とする。

1930年4月7日
山岡女官退職のこと皇太后宮大夫入江為守に報告すべきやにつき考慮の結果、そのままに放置することとす。
ただし後日に至り必要あらば、説明をなすも可なりと信ず。

1930年4月8日
仙石総裁を訪い、山岡女官退職の件などを内談す。

入江皇太后宮大夫を訪い、山岡女官退職の件につき話す。

1930年5月13日
関屋次官より、海軍大将黒井悌次郎が関屋次官を訪い、山岡女官辞職につき説明を求めたりとて、その内容を告げられる。
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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1931年6月15日
竹屋女官長の病気を見舞う。
女官油小路裳子に関する件につき説明す。

1931年6月16日
油小路女官に対し、心痛するところを率直に述べて将来のため注意を求む。
油小路女官、甚だ安んぜす。
①事実の明確なる説示
②1人なりや数人なりや
③なに人より聴取せりや
等、後刻面会を求めて反問す。
予はいずれにも答えず。
平素一貫毅然たる態度の切要なるを諭す。    
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