◆初代男爵 大森鍾一 幕臣大森直正の子 皇太后宮大夫
1956-1927


■前妻


■後妻 長齢子  漢学者長三州の娘 学習院出身
1870年生


●長男 大森佳一 1883年生 2代男爵
●三男 大森雅助 1891年生 伏谷雅助となる

●長女 大森貞子 1886年生 知事中川望と結婚
●二女 大森信子 1898年生 知事池田宏と結婚
●五女 大森幸子 1903年生 知事児玉九一と結婚
●六女 大森ミツ 1905年生 学習院出身 文部官僚永井浩と結婚
●七女 大森明子 1906年生 学習院出身 知事重成格と結婚


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小川金男 明治・大正・昭和の天皇に仕えた仕人

大森鍾一氏が貞明皇后宮大夫に任官することになった時、元侍従長徳大寺実則が、
「ほう、大森が皇太后大夫になったのか!惜しい人物が大正になってから入ってきたものだね。直接には知らないのだが、なかなかしっかりした人物だそうだよ。どうせ入るなら私がいる時に入ってくれればよかったのになあ!」と言われた。

大正天皇が皇太子時代に宮津に行啓になったことがあった。
そのとき京都知事だった大森氏が御先導申し上げたのであるが、大正天皇は非常におみ足がお早い。
しかし大森氏はでっぷりと肥満していて、足の運びが遅いのである。
大森氏はやりきれなくなり、郡長に御先導を命じて入れ替わってしまった。
それで大正天皇が笑って「大森、疲れたのか」とおっしゃったところ、
「決して疲れはしませんが、知事の私一人が御先導申し上げては光栄に堪えません。この光栄を郡長にも分けてやったのでございます」と平然とお答えした。
この噂はたちまち広がり、徳大寺氏の耳にまで入っていたのである。

大森大夫は赤ら顔のよく肥った堂々たる恰幅の人物で、いかにもさばけた人物で少しも上下のへだてを置かなかった。
ある夏のこと、浴衣の着流しで官邸に出入りしているところを皇后宮職の職員に見つけられてしまった。
翌日「官邸に浴衣で出入りするとはもってのほかだ。今後は気をつけるように」と注意されたのである。
大森大夫にその話をすると、「バカな!官邸というのはそんなに窮屈な所なのかね。ここには八百屋も来れば下肥屋も入って来るんだ。それが出入りの度に服を改めなければならぬと言うんじゃ、やりきれたものじゃないよ!君が自宅で浴衣でくつろいでいる時に、ちょっと呼ばれて官邸に行くというのに、いちいち身支度を整えなければならないなんて、そんな窮屈なことで人間らしい生活ができるものか。人間は誰だって糞もたれれば小便もするのだということを忘れている奴の言うことだよ」と大森大夫は普段から赤い顔をいっそう赤くしてこう言った。
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『愛国婦人会に活躍する婦人』1929年

大森齢子さんは落ち着いた奥様タイプの方で、外に立って華々しい活動はなさらないが、夫君大森鍾一男爵が没せられてからは、愛国婦人会のために堅実な地味な働きを捧げています。
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◆2代男爵 大森佳一 初代男爵 大森鍾一の子
1883-1945


■妻  野村愛子 大蔵官僚野村虎次郎の娘 学習院出身
1894年生


●長男 大森俊一 1922年生 3代男爵
●二男 大森英二 1929年生

●長女 大森恭子 1913年生 学習院出身 内藤頼輔子爵の子内藤頼武と結婚
●二女 大森敬子 1914年生 学習院出身


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◆3代男爵 大森俊一 2代男爵大森佳一の子
1922年生