<名号ネクタイ事件>

1973年光暢法主が、直筆の南無阿弥陀仏の六文字(名号)をデザインしたネクタイを1万の末寺を通じて門徒に売ろうとした事件。
表向きは、大阪の本泉寺の住職若松晴が企画したことになっている。
東本願寺内局が計画を差し止めたため、ネクタイ会社が損害賠償を求める訴えを起こして翌年発覚。
訴状によると、1本5,000円のネクタイ10万本の製作費販売費の損失が1千万円、完売した場合の予定利益は5億円だった。

<難波別院事件>

1973年光暢法主が、大阪にある難波別院の400坪の土地に貸しビルを建て、賃貸料を儲けようとした事件。
表向きは、同じく若松晴が企画したことになっている。
大阪の不動産会社から数回に渡り計7千万円を受け取った。
しかし正規の手続きを経ていなかったため計画は差し止め、結果的に若松が7千万円を詐取した形となり、訴えられて翌年発覚。

<宇治土地事件>

1973年光暢法主が、京都宇治にある本願寺維持財団の土地1,100坪を1億3338万円で売り、滋賀県の山林を5千万円で買って土地交換を行い、差額の8338万円を儲けようとした事件。
表向きは、同じく若松晴が企画したことになっている。
本願寺維持財団理事長の二男暢順が気づいて未然に防いだ。
しかし不動産業者から内金として3,500万円を受け取っていたため、結果的に若松が3,500万円を詐取した形となり、訴えられて翌年発覚。


『難波別院事件』と『宇治土地事件』で合計1億500万円を詐取したことになる若松は、1974年6月、妻子を連れてドイツに逃亡する。
逃亡前日に若松の銀行口座に四男暢道名義で1千万円の振込があり、逃亡当日に若松が全額引き出していたことが京都府警の捜査で判明している。
3年間海外で逃亡生活を送ったのち1977年に帰国、自首した。
単独犯行であることを主張、有罪判決を受けたが控訴せず服役した。