<六条山墓地造成事件>

光暢法主から後継者に指名された長男光紹のブレーンには危険人物がいた。
昭和40年(1965)三菱銀行・大和銀行から総額486億8千万円を騙し取った戦後最大の詐欺事件
『吹原産業事件』の首謀者吹原弘宣である。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
読売新聞 1969年5月16日

『新門のブレーンに疑惑の人吹原弘宣、内局・宗議会が反発』

内局は三位一体の不文律が破られた理由を解明しなければならぬと調査を始めたが、
意外なことに吹原が長男光紹のブレーンとして
昭和42年(1967)頃から宗政面にタッチしていることがはっきりした。
吹原は東京本願寺振興対策委員会の11人の委員の1人となっており、
長男光紹が東京本願寺住職でもあるところから長男光紹に接近した。
しかも吹原が果たしてきた役割は、いわば宗政の実務であったという。
例えば東京本願寺所有の空地約3,300平方メートルを京成電鉄に賃貸していたが、
この契約を更新するとき東京東本願寺に入った権利金9,100万円に対する課税額を巡って、
吹原が東京国税局長と直接取引し173万4千円で話をつけた。
また東本願寺横浜別院は本山の三機関の正式な決定によって
約2,000平方メートルの土地を2億円で売却して磯子区内へ移転することになり、
今の土地に予備校があったので寺側は立退料3,000万円を支払ったが、
この2月光暢法主が突然「売却についてはすべて吹原に相談して決めるように」と内局に指示したため、
3,000万円支払った土地はいまだに売れていない。
これは売買の話を知った吹原が「2億円では安すぎる」と法主に相場を教えたからだと言われている。
吹原の大谷家に対する食い込み様はかなりのものらしく、
彼と大谷家の密接な関係を裏付けるような話が次々とあらわれる。
「吹原は1ヶ月に1度くらい智子裏方を東京へ招いて歌舞伎などに案内している。
銀座の洋品店で高価な物を買って贈る」

(長男光紹と記者の一問一答)

Q 吹原氏が前科3犯の詐欺常習者であり、現在保釈中であることはご存知か?
A 前科があるということは初耳だ。
親鸞の教義に悪人と見られている人こそ救わねばならぬとあり、
またそんな人ほど善人に比べて宗教心が厚い。

Q 吹原氏を知ったいきさつは?
A 門徒であるというので、昭和42年(1967)ごろ人を介して会った。
高松宮ともお親しいし、
赤十字の顧問や私立学校の援助もしている教育・社会活動に熱心な人だと思っているので、
いろいろ意見を聞くことにしている。

Q 東本願寺の財産問題に吹原氏がタッチしているのは
宗教的交際の域を越えるものではないのか?
A 吹原氏は有能な実業家であるので手助けを願っている。
今度の事件も判決が出ていない以上、悪人にするのは酷ではないか。
いわんや親鸞とても、流罪になったことがあるではないか。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
毎日新聞 吹原弘宣へのインタビュー

新門〔長男光紹〕から光暢法主と上手くいかないので、仲を取りもってほしいと言ってきたのが最初ですね。
法主と新門は親子でありながら和がない。
智子裏方は自分の手元で育てた四男暢道ばかりを猫可愛がりで上の三人は継子扱いだ、そんな家族の悪口を聞くことから始まったんです。
そこで御法主夫妻・新門さんを招いて食事を差し上げたりした。
新門さんがこの事務所に来られたのは1966年初め。
だから大谷家への出入りはもう10年になる。
僕はお寺に生まれた。
大谷家のみんなが良くなるように、それによって宗門が良くなるようにと思って首を突っ込んじゃったんですね。
10年間1銭も使わせず面倒みてきたんですよ。
(接待費・車賃・金一封など東本願寺関係者のために使った金は75,935,740円だと吹原は述べている)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


1970年12月『六条山墓地造成事件』が起きる。
光暢法主が吹原の入れ知恵で六条山にある東本願寺所有の土地に墓地を造成して売り出す計画を京都市に申請する。

六条山は伏見宮邦家親王の娘嘉枝宮和子女王が21代大谷光勝に嫁いできた時の「持参物」で、広さは23,600平方メートル、総工費は20億円である。
正規の手続きを経ていなかったが、内局がこれを知った時にはすでにブルトーザーが入り山林は切り開かれ土地の造成が始まっていた。
今さら白紙に戻せない事態に内局は頭を悩ませた末に、東本願寺ではなく本願寺維持財団にこの墓地の経営を任せて工事を続行することに決めた。

できた墓地が『東山浄苑』、墓の数は2万基。
二男暢順が本願寺維持財団の理事長となった。

当の吹原はこの工事により水面下で数億円を手に入れて、「本願寺問題から手を引く」と記者会見して大谷家から離れて行った。