<骨肉の争いは続く>
◆1981年
6月11日 東本願寺で宗憲改正が可決され、新宗憲が発布された。
法主・東本願寺住職・管長の3つすべてを廃止、法主は門首と改め象徴門首制となった。
(東本願寺は門首、西本願寺は門主)
06月15日 東京都庁が東京別院/長男光紹の宗派離脱申請を認証
同日 東本願寺が長男光紹を除籍
06月26日 東本願寺が光見(長男光紹の長男)を新門に決定
◆1984年
03月 東本願寺の国宝『教行信証』が無くなっていることが発覚、秘かに大谷家が私蔵していたことがわかった。
国宝が流出しかねない事態を重く見た文化庁が預かることとなり、東京国立博物館に保管された。
◆1985年
10月 光暢法主&智子裏方&四男暢道が記者会見を開き和解破棄を宣言
◆1988年
02月 長男光紹/東京本願寺が「浄土真宗東本願寺派を結成し、第25世法主に就任する」と宣言
これを受けて本山の後継者となっていた光見(長男光紹の長男)も「本山の新門と東京本願寺の新門を兼ねる」と宣言
◆1989年
02月 東本願寺は二派の新門を兼任しようとした光見(長男光紹の長男)を新門から解任・除籍
03月 東本願寺は業成(二男暢順の長男)を新門に決定
11月 智子裏方83歳没、東本願寺と大谷家とで別々に葬儀が行われる
◆1992年
04月 二男暢順が自らの本願寺維持財団が所有する土地を売却
◆1993年
04月 光暢法主90歳没、東本願寺と長男光紹と四男暢道とで別々に葬儀が行われる
6人の兄妹のうち5人が負債や訴訟を恐れて相続放棄、四男暢道だけが自らを第25代法主と宣言して相続手続を取ったため訴訟も引き継いだ。
◆1995年
11月 二男暢順が東本願寺に対して1億円の助成金返還を求める訴えを起こす
◆1996年
01月 二男暢順&業成(二男暢順の長男)&実成(二男暢順の二男)が宗派離脱を宣言、二男暢順は第25代法主を名乗る
02月 東本願寺は二男暢順&業成&実成を除籍、業成を新門から解任
07月 東本願寺は騒動に関わりのなかった三男暢顕を後継者に決定
同月 三男暢顕が第25代門主に就任、71年ぶりの継承式が行われた。
四男暢道側近の僧侶武内克麿は大谷家を離れた後、先物取引で多額の借金を作り失踪、交通事故で死亡した。
◆1981年
6月11日 東本願寺で宗憲改正が可決され、新宗憲が発布された。
法主・東本願寺住職・管長の3つすべてを廃止、法主は門首と改め象徴門首制となった。
(東本願寺は門首、西本願寺は門主)
06月15日 東京都庁が東京別院/長男光紹の宗派離脱申請を認証
同日 東本願寺が長男光紹を除籍
06月26日 東本願寺が光見(長男光紹の長男)を新門に決定
◆1984年
03月 東本願寺の国宝『教行信証』が無くなっていることが発覚、秘かに大谷家が私蔵していたことがわかった。
国宝が流出しかねない事態を重く見た文化庁が預かることとなり、東京国立博物館に保管された。
◆1985年
10月 光暢法主&智子裏方&四男暢道が記者会見を開き和解破棄を宣言
◆1988年
02月 長男光紹/東京本願寺が「浄土真宗東本願寺派を結成し、第25世法主に就任する」と宣言
これを受けて本山の後継者となっていた光見(長男光紹の長男)も「本山の新門と東京本願寺の新門を兼ねる」と宣言
◆1989年
02月 東本願寺は二派の新門を兼任しようとした光見(長男光紹の長男)を新門から解任・除籍
03月 東本願寺は業成(二男暢順の長男)を新門に決定
11月 智子裏方83歳没、東本願寺と大谷家とで別々に葬儀が行われる
◆1992年
04月 二男暢順が自らの本願寺維持財団が所有する土地を売却
◆1993年
04月 光暢法主90歳没、東本願寺と長男光紹と四男暢道とで別々に葬儀が行われる
6人の兄妹のうち5人が負債や訴訟を恐れて相続放棄、四男暢道だけが自らを第25代法主と宣言して相続手続を取ったため訴訟も引き継いだ。
◆1995年
11月 二男暢順が東本願寺に対して1億円の助成金返還を求める訴えを起こす
◆1996年
01月 二男暢順&業成(二男暢順の長男)&実成(二男暢順の二男)が宗派離脱を宣言、二男暢順は第25代法主を名乗る
02月 東本願寺は二男暢順&業成&実成を除籍、業成を新門から解任
07月 東本願寺は騒動に関わりのなかった三男暢顕を後継者に決定
同月 三男暢顕が第25代門主に就任、71年ぶりの継承式が行われた。
四男暢道側近の僧侶武内克麿は大谷家を離れた後、先物取引で多額の借金を作り失踪、交通事故で死亡した。
