<事件につぐ事件>


◆1970年
前年の『開申事件』を受けて、改革派以外にも法主批判の声が広がる。
これに対して光暢法主は、内局が提出した改革案の承認を拒否したり、改革派僧侶16人の僧籍を剥奪しようとした。

12月『六条山墓地造成事件』
光暢法主が20億円をかけて六条山にある東本願寺所有の土地に、墓地を造成して売り出す計画を京都市に申請した。
これは光暢法主&智子裏方&長男光紹に取り入っていた吹原弘宣が、東本願寺の財産を使って事業を興そうとしたものであった。
吹原弘宣は1965年三菱銀行・大和銀行から総額486億8千万円を騙し取った戦後最大の詐欺事件『吹原産業事件』の首謀者である。
六条山は伏見宮邦家親王の娘嘉枝宮和子女王が21代大谷光勝に嫁いできた時の「持参物」であった。


◆1971年
発覚した時にはすでに造成が始まっていた『六条山墓地造成事件』は今さら白紙にできず、内局は経営を東本願寺ではなく本願寺維持財団にこの墓地の経営を任せて工事を続行することに決定した。
二男暢順が本願寺維持財団の理事長になる。


◆1972年
02月 光暢法主が開申を撤回する。


◆1973年
01月『名号ネクタイ事件』(発覚は翌年) 
大谷家が法主直筆の南無阿弥陀仏をデザインしたネクタイを販売しようとする。

09月『難波別院事件』(発覚は翌年) 
大谷家が大阪にある難波別院の400坪の土地に貸ビルを建てようする。

10月『宇治土地事件』(発覚は翌年)
大谷家が京都宇治にある本願寺維持財団の1,100坪の土地を売却しようとする。


◆1974年
02月 改革派の嶺藤亮が宗務総長(総理大臣にあたる)に選出されたが、光暢法主は任命を拒否、嶺藤総長は2ヶ月間新内閣を組織することができず、宗議会が光暢法主に任命の要望書を提出したり、職員組合が任命を求めてストをしたり、混乱が続いた。


◆1975年
08月「ドル箱」でもある本願寺維持財団の理事長を務める二男暢順に対して、四男暢道が理事長のポストを自分に譲るよう迫るが拒否される。
09月 今度は光暢法主が二男暢順に対して、理事長のポストを四男暢道に譲るよう内容証明を送るが拒否される。


◆1976年
01月 東本願寺が光暢法主に対して管長職退位を勧告

02月『大谷の里事件』
光暢法主が滋賀県の2万坪の土地に老人・障害者・青少年のための福祉センター『大谷の里』を造ろうとする。
理事長は四男暢道の予定であった。
総工費は40億円、門徒から寄付で100億円を集め、土地は篤信家が寄付してくれるのだという不思議な計画だった。
光暢法主&智子裏方&四男暢道が連名で7枚計5億円の手形を乱発。

04月 光暢法主が宗務総長嶺藤亮を解任して曽我敏を任命、前代未聞の二人総長体制となってしまう。

06月『聖護院別邸事件』
福田アツシ〔外字〕(元総理大臣福田赳夫の甥)が四男暢道に融資した1億5千万円が返済されなかったため、
聖護院別邸を差し押さえる。
同月
幡新守也(グアム島残留日本兵横井庄一の妻の兄)が四男暢道に融資した3千万円が返済されなかったため、聖護院別邸・大谷専修学院の学生寮『修練舎』・宗務総長役宅の3点を差し押さえる。
聖護院別邸は二重に差し押さえられたことになる。
聖護院別邸は智子裏方が嫁いできた時の「持参物」であり、四男暢道の住まいであった。
また、当時宗務総長役宅には嶺藤総長が住んでいた。


◆1977年
『大谷の里』に関して乱発した手形のうち2枚計1億円分が不渡りとなったため、東本願寺の重要文化財18点が差し押さえられる。


◆1978年
01月 嶺藤総長が再選されるが、
03月 光暢法主が嶺藤総長を破門する。
嶺藤総長は宗議会と門徒評議会を招集して光暢法主から管長職を剥奪し、竹内良恵を管長に任命、二人総長に次いで二人管長という事態が発生する。

07月 京都府警が『大谷の里』に関連する手形乱発事件について、光暢法主と四男暢道の2人を背任容疑・横領容疑で書類送検した。

同月 光暢法主&四男暢道&債権者2人の4人が記者会見。
「10月15日までに債権者2人に対して額面1億円の7割、7千万円を支払うことで和解が成立した。
支払いが履行された段階で、債権者2人は訴えを取り下げる」と発表。
これを受けて末寺・門徒で結成した『東本願寺を守る会』が7千万円を工面して法主に渡したが、2人の債権者には支払われず、どこかに消えた。

10月『枳殻邸事件』
光暢法主が『枳殻邸』を松本裕夫(京都のビル会社社長)に30億円で売却。
『枳殻邸』は正式名称『渉成園』三代将軍徳川家光が東本願寺に寄進した一万坪の土地に池泉回遊式庭園を造ったもので、国の名勝にも指定されている。

11月 光暢法主が宗派から離脱独立すると爆弾宣言。
一万の末寺は法主派につくか否かの選択を迫られる。


◆1979年
01月 京都府警は『枳殻邸事件』に関連して、光暢法主・四男暢道・四男暢道側近の不動産業者三池新二・そして松本裕夫の4人を背任容疑で書類送検した。

02月 光暢法主が前年の宣言通り、京都府に宗派離脱申請書を提出する。

父親に足並みを揃えて、
04月 長男光紹の東京別院が宗派離脱を宣言
06月 四男暢道の井波別院が宗派離脱を宣言
07月 二男暢順の長浜別院が宗派離脱を宣言


◆1980年
08月 京都地検が横領容疑で四男暢道の側近僧侶武内克麿・克麿の弟孝麿・金融ブローカー岩井忠彦を逮捕する。

11月 大谷家の借金の肩代わりと告訴取り下げを条件に大谷家と東本願寺との即決和解が成立、東本願寺は光暢法主と四男暢道への告訴を取り下げる。


◆1981年
04月 光暢法主・智子裏方・四男暢道が債務一覧表を提出、借金の総額は7億2358万円と判明。
借金の肩代わりをすることになった東本願寺と債権者らとの交渉には13年かかり、完済は1994年総額は8億1675万624円にのぼった。