<主要人物>
■夫 大谷光暢 東本願寺24代法主
1903-1993 90歳没
■妻 久邇宮智子女王 久邇宮邦彦王の娘・姉は香淳皇后
1906-1989 83歳没
●長男 大谷光紹 離脱して浄土真宗東本願寺派/東京本願寺
●二男 大谷暢順 離脱して浄土真宗大谷本願寺派/東山浄苑
●三男 大谷暢顕 東本願寺25代門首 最終的に後継者に選ばれる
●四男 大谷暢道/光道 離脱して嵯峨本願寺
●長女 大谷美都子 音大教授大賀寛と結婚
●二女 大谷須美子 オーミケンシ副社長夏川浩と結婚
※30年に渡るお東騒動により4派に分裂、4人の息子はそれぞれ自らを25代と名乗っている


==============================
◆長男 大谷光紹 離脱して浄土真宗東本願寺派/東京本願寺
1925-1999 74歳没
*長男であったため新門(後継者)として育てられる
*京都大学文学部史学科卒業
1949年 昭和天皇の娘 孝宮和子内親王(イトコ)と婚約発表・天皇家側から解消
1950年 アメリカに留学
1954年 帰国
1955年 田安徳川達成伯爵の娘徳川文子と婚約発表・大谷家側から解消
1964年 結婚


■妻 二条貴代子 真宗誠照寺二条秀淳の娘
1940-2012 72歳没
●長男 大谷光見 長男家の後継者
●二男
●長女
●二女
==============================
◆二男 大谷暢順 離脱して浄土真宗大谷本願寺派/東山浄苑
1929年生
*東京大学印度哲学梵文学科卒業
*演劇に興味があり、脚本家を志して文学座に席を置いたこともある


■前妻 藤原綾乃 藤原信一の娘 熟年離婚
1947年生
●業成/光輪 二男家の後継者
●他不明
■後妻 暢順の随筆に「末の娘が生まれたとき私は80歳を過ぎていました」との記述あり
●女子
●他不明
==============================
◆三男 暢顕 東本願寺25代門首(法主の名称は門首に変更された)
1930年生
*幼少時のハシカが原因で聾唖となる
*京都大学農学部に学ぶ
*東京に出て精密機械会社の設計技師となっていたが、お東騒動に関わっていなかったため最終的に後継者に選ばれる
■前妻 30代で結婚、1年で離婚
■後妻 奥村妙子 奥村政一の娘
1950年生
●子供ナシ・後継はイトコ大谷暢裕
==============================
◆四男 暢道/光道 離脱して嵯峨本願寺
1945年生
*大阪大学基礎工学部制御工学科卒業
*伊藤忠に入社するも一年で退職
以降、両親の秘書的存在となる
*智子裏方は四男暢道を溺愛した。長男光紹と四男暢道は20歳離れている。
周囲は溺愛というより偏愛と見ており、このことがお東騒動の大きな原因となる。


■妻 礼子 高校時代の同級生・京都の画材商の娘
1948年生
●三女 純子 四男家の後継者
●他不明
==============================
浄土真宗大谷派は、東本願寺を本山とする末寺1万・門徒数1千万を擁する日本最大級の宗教教団である。
しかし、30年に渡るお東騒動により4派に分裂するに至った。
東本願寺では法主は「御上」とも呼ばれ、妻は「裏方」と呼ばれる。
また跡継ぎの長男は「新門」と呼ばれ、特別の扱いを受ける。
1969年光暢法主が「管長職を長男光紹に譲る」と独断で宣言、お東騒動の火ぶたが切られた。
反対する改革派に対して、光暢法主&智子裏方夫妻を中心に長男光紹・二男暢順・四男暢道が団結し保守派として対抗した。
長男光紹は過労で倒れて東京の病院に入院したのをきっかけに、住まいを京都→東京→鎌倉と移し東京本願寺に専念するようになり光暢法主&智子裏方と疎遠になってゆく。
二男暢順は本願寺維持財団の理事長に就任したのをきっかけに、東山浄苑に専念するようになり光暢法主&智子裏方と疎遠になってゆく。
残った四男暢道は光暢法主&智子裏方の秘書的存在として権力を持つようになり、側近の僧侶武内克麿・不動産業者三池新二と共に次々と財産処分や手形乱発で問題を起こし、騒動はエスカレートする。
16億円の財産を有する「ドル箱」東山浄苑を狙った四男暢道は、二男暢順に本願寺維持財団理事長の座を自分に譲れと迫る。
二男暢順がこれを拒否すると、今度は光暢法主から命令させる。
二男暢順がこれも拒否したため、光暢法主&智子裏方と二男暢順の関係は悪化する。
長男光紹もこのやり方に苦言を呈したため、光暢法主&智子裏方の不興を買ってしまう。
「東本願寺、骨肉の争い」と報道されるに至り、長男光紹と二男暢順は騒動から手を引いて静観するようになる。
やがて保守派と改革派の対立から、保守派にも見限られた法主派とその他派の対立に変わり、光暢法主&智子裏方と四男暢道は泥沼にはまり込んで行く。
1977年
1977年
1978年
1978年
1978年
1980年
1982年
1993年
■夫 大谷光暢 東本願寺24代法主
1903-1993 90歳没
■妻 久邇宮智子女王 久邇宮邦彦王の娘・姉は香淳皇后
1906-1989 83歳没
●長男 大谷光紹 離脱して浄土真宗東本願寺派/東京本願寺
●二男 大谷暢順 離脱して浄土真宗大谷本願寺派/東山浄苑
●三男 大谷暢顕 東本願寺25代門首 最終的に後継者に選ばれる
●四男 大谷暢道/光道 離脱して嵯峨本願寺
●長女 大谷美都子 音大教授大賀寛と結婚
●二女 大谷須美子 オーミケンシ副社長夏川浩と結婚
※30年に渡るお東騒動により4派に分裂、4人の息子はそれぞれ自らを25代と名乗っている


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◆長男 大谷光紹 離脱して浄土真宗東本願寺派/東京本願寺
1925-1999 74歳没
*長男であったため新門(後継者)として育てられる
*京都大学文学部史学科卒業
1949年 昭和天皇の娘 孝宮和子内親王(イトコ)と婚約発表・天皇家側から解消
1950年 アメリカに留学
1954年 帰国
1955年 田安徳川達成伯爵の娘徳川文子と婚約発表・大谷家側から解消
1964年 結婚


■妻 二条貴代子 真宗誠照寺二条秀淳の娘
1940-2012 72歳没
●長男 大谷光見 長男家の後継者
●二男
●長女
●二女
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◆二男 大谷暢順 離脱して浄土真宗大谷本願寺派/東山浄苑
1929年生
*東京大学印度哲学梵文学科卒業
*演劇に興味があり、脚本家を志して文学座に席を置いたこともある


■前妻 藤原綾乃 藤原信一の娘 熟年離婚
1947年生
●業成/光輪 二男家の後継者
●他不明
■後妻 暢順の随筆に「末の娘が生まれたとき私は80歳を過ぎていました」との記述あり
●女子
●他不明
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◆三男 暢顕 東本願寺25代門首(法主の名称は門首に変更された)
1930年生
*幼少時のハシカが原因で聾唖となる
*京都大学農学部に学ぶ
*東京に出て精密機械会社の設計技師となっていたが、お東騒動に関わっていなかったため最終的に後継者に選ばれる
■前妻 30代で結婚、1年で離婚
■後妻 奥村妙子 奥村政一の娘
1950年生
●子供ナシ・後継はイトコ大谷暢裕
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◆四男 暢道/光道 離脱して嵯峨本願寺
1945年生
*大阪大学基礎工学部制御工学科卒業
*伊藤忠に入社するも一年で退職
以降、両親の秘書的存在となる
*智子裏方は四男暢道を溺愛した。長男光紹と四男暢道は20歳離れている。
周囲は溺愛というより偏愛と見ており、このことがお東騒動の大きな原因となる。


■妻 礼子 高校時代の同級生・京都の画材商の娘
1948年生
●三女 純子 四男家の後継者
●他不明
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浄土真宗大谷派は、東本願寺を本山とする末寺1万・門徒数1千万を擁する日本最大級の宗教教団である。
しかし、30年に渡るお東騒動により4派に分裂するに至った。
東本願寺では法主は「御上」とも呼ばれ、妻は「裏方」と呼ばれる。
また跡継ぎの長男は「新門」と呼ばれ、特別の扱いを受ける。
1969年光暢法主が「管長職を長男光紹に譲る」と独断で宣言、お東騒動の火ぶたが切られた。
反対する改革派に対して、光暢法主&智子裏方夫妻を中心に長男光紹・二男暢順・四男暢道が団結し保守派として対抗した。
長男光紹は過労で倒れて東京の病院に入院したのをきっかけに、住まいを京都→東京→鎌倉と移し東京本願寺に専念するようになり光暢法主&智子裏方と疎遠になってゆく。
二男暢順は本願寺維持財団の理事長に就任したのをきっかけに、東山浄苑に専念するようになり光暢法主&智子裏方と疎遠になってゆく。
残った四男暢道は光暢法主&智子裏方の秘書的存在として権力を持つようになり、側近の僧侶武内克麿・不動産業者三池新二と共に次々と財産処分や手形乱発で問題を起こし、騒動はエスカレートする。
16億円の財産を有する「ドル箱」東山浄苑を狙った四男暢道は、二男暢順に本願寺維持財団理事長の座を自分に譲れと迫る。
二男暢順がこれを拒否すると、今度は光暢法主から命令させる。
二男暢順がこれも拒否したため、光暢法主&智子裏方と二男暢順の関係は悪化する。
長男光紹もこのやり方に苦言を呈したため、光暢法主&智子裏方の不興を買ってしまう。
「東本願寺、骨肉の争い」と報道されるに至り、長男光紹と二男暢順は騒動から手を引いて静観するようになる。
やがて保守派と改革派の対立から、保守派にも見限られた法主派とその他派の対立に変わり、光暢法主&智子裏方と四男暢道は泥沼にはまり込んで行く。
1977年
1977年
1978年
1978年
1978年
1980年
1982年
1993年















