◆1922年06月09日 宮内大臣牧野伸顕が貞明皇后に婚約遂行を求め、貞明皇后は「涙を飲んで認めるしかない」と了承する。
◆1922年06月20日 納采の議9月28日・成婚式1923年秋が発表される。
◆1922年09月01日 関東大震災→成婚式延期




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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年2月10日
倉富&宮内次官関屋貞三郎の会話

関屋◆久邇宮邦彦王は久邇宮事務官木村英俊に信用なく、久邇宮事務官栗田直八郎も同様信用なく、邦彦王殿下は良子女王の事につき非常に焦慮せられおる。

倉富◆栗田のことは意外なり。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年2月13日
※倉富&宮内官僚松平慶民の会話

松平◆久邇宮邦彦王は久邇宮事務官栗田直八郎を信ぜられざる趣。

倉富◆はじめ宮内大臣が承知せざるに関わらず邦彦王より強いて栗田を宮務監督とせられたる関係より考うれば、今急に不信用となりたりとは考え難し。
しかれば栗田に代りて宮務監督になる人が良子女王の事につき反対意見を有すれば、はじめより信用せられず。
たとえ賛成意見を有しおりても、これを遂行する技量なければ栗田と同様の事となるべし。
いずれにしても非常に困難なる事なり。
良子女王の事に関しては西園寺公望は初めよりよほど強硬なる反対意見を有し、山県有朋亡き今日にては西園寺が全責任を負う事となり、いっそう意見を変え難かるべし。
遂行しても差支なき事実の証明せられざる以上は賛成し難しと言いおるとの事ならん。

松平◆西園寺の意見を変えしむるには他の医者をして新たなる意見書でも作らしむるよりほか方法なかるべし。

倉富◆それは出来がたかるべし。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年2月26日
※久邇宮邦彦王の発言

久邇宮事務官木村英俊口ばかりにて技量に称わず、まったく無能なり。
久邇宮事務官栗田直八郎も耄碌して様に達せず。
しかれども一時に二人を替えては良子女王の結婚問題に関する事ならんとの疑を招くべきにつき、この際は木村のみを替え栗田は時機を見て替うる事にいたしたし。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年3月31日
※倉富&宮内次官関屋貞三郎の会話

倉富◆久邇宮家にては武田は免職せられたるも、今日にてもやはり宮家に出入りし、先ごろ久邇宮朝融王御病気の時も栗田直八郎と同伴して佐世保に行きたりとの事なり。

関屋◆その通りなるべし。
武田は多年久邇宮家に奉仕したる者なるゆえ情誼上しからざるを得ざるべし。
邦彦王は「栗田は先年は相当に用立ちたるも、この節は耄碌して用に立たず」と言われたり。
また「昨年の事は言語道断にて、宮内大臣よりは何事も言わずして、自分が九州より帰る時わざわざ木村英俊を国府津まで遣して婚約辞退の事を説かしめたり。辻に不都合なる事なり。もし宮内大臣が誠意を披歴して直接に懇談したるならば、自分の考えも如何になりおりたるやもわからず」と言われおりたり。

倉富◆宮内大臣より直接談を為さざりしは、御婚約の事は既に御内定には相成りおり、天皇皇后両陛下の思召については別に伺い定る事を得る場合にあらず。
思召を伺わずして宮内大臣より邦彦王にその事を説く訳にはいかず。

関屋◆邦彦王の只今の唯一の希望は御結婚なるに、つい何事においても宮内省の意に従い決して反対せらるる如き事なかるべし
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年9月6日
※久邇宮事務官国分三亥の発言

良子女王の御洋行問題あり。
久邇宮邦彦王はともかく事が決定したる後に申し上ぐる事が御嫌いにて、圧迫する様に考えらるる模様なるにつき、全く内談にて宮内省議に上りおりたる訳にはあらざるも、少数者の間に御洋行の内談ある旨を申し上げたるところ、邦彦王殿下は「それはよろしき事ならん。洋行する事に決すれば自分が連れ行く事にすべし。御結婚はしかとは定まらざるべきも当局者は大概いつ頃のつもりに致す考えなるや、これを問いくれよ」との御話ありたり。
今日宮内大臣牧野伸顕に良子女王御洋行の事を話したるところ、牧野宮相は「自分はその事に賛成しおらず。君より邦彦王に申し上げたるは時機を誤りたり」との事なりし。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年9月17日
※倉富&久邇宮事務官国分三亥の会話

国分◆久邇宮邦彦王は「宮内省の者はこれまで良子女王がたびたび貞明皇后に拝謁しおる事実を知らずして左様の事を言いおるにはあらざるべきや」と言われたるゆえ、
「宮内大臣・宮内次官はまさかこれを知らざる訳にはあらざるべく、重大問題起りたる以来拝謁も中絶の有様になりおるゆえこれを復活せんとの希望ならんと思う」と言いたるに、
邦彦王殿下は「宮内省にても大臣・次官とも更迭し以前の事実をしらずして左様の事を言いおるやも計られざるゆえ一応これを確かめみるげき」旨を申されたるにつき、
今朝事務次官関屋貞三郎訪いその話を為したるところ、関屋は「もとより以前拝謁ありたる事実はこれを知りおれり。中絶以降の復活を希望しおるところなり」と言えり。
良子女王は邦彦王または俔子妃と共に貞明皇后に謁せられたる事もあり、一人にて謁せられたる事もありたるが、一人にて謁せられたる時は最も皇后陛下の御機嫌よろしく、三笠宮がそばにあらせらたるに対し、「これはあなたの姉さんなり」と言われ、腕輪を取り出し、「これは昭憲皇太后より賜りたる物なるが、これを贈る」と言いて賜りたるほどなりし由。

倉富◆その時はもちろん問題の起らざりし時なるゆえ、事情が異なるべし。

国分◆今日にてもなお多少わだかまりがあるにはあらざるべきや。

倉富◆邦彦王の御態度についても幾分の御考えはあることならんと思う。

国分◆直接に書面を差し上げられたる事などはよろしからざりしならん。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年10月7日
※久邇宮事務官国分三亥の発言

昨日俔子妃および良子女王、天皇皇后に拝謁せられ、皇后陛下は1時間も御話あり。
俔子妃は極めて無口にて平常何とも言われず、一昨日牧野宮相はわざわざ久邇宮家に来り妃殿下に注意せられたる模様なり。
昨日は多少話されたることならんと思う。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長

1922年11月7日
※倉富&宮内官僚小原駩吉の会話

小原◆久邇宮邦彦王にては何事も控え目になさるべき必要あるに関わらず、実際左様に行かざるは困りたるものなり。

倉富◆その事については牧野宮相も常に懸念しおるにつき、邦彦王殿下にも注意しおるならん。

小原◆先日武田健三が来訪したるにつき、「今後は何事も一切宮内大臣を信頼し、自身には手を出されざる様になされざるべからず。しかるに実際その通りになりおらざるは遺憾なり」との話を為したる。
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