◆14代 稲田植乗
1825-1860
■妻
●男子 稲田邦植 1855-1931・16代当主・初代男爵
●男子 稲田邦衛 1858年生・北海道平民平塚直静の娘平塚シュウと結婚
●女子 稲田トシ 1852年生・福岡県士族小原省三と結婚
●女子 稲田ヨウ 1860年生・酒井忠匡子爵と離婚・佐藤昌介男爵と再婚
→子は17代当主稲田昌植
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◆15代 稲田植誠 15代植乗のイトコ
1844-1865
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◆16代 稲田邦植 14代植乗の子・初代男爵
1855-1931
■妻 溝呂木ウメ 東京府平民溝呂木茂兵衛の娘
1862-1946
●養子 稲田昌植 甥・佐藤昌介の子
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◆17代 稲田昌植 2代男爵
1890-1968
■妻 稲田久米子 有馬頼万伯爵の娘・お茶の水女学校出身
1898年生
●長男 稲田植樹 1920年生 京都帝大出身
●三男 稲田植輝 1923年生 東北大学出身
●四男 稲田植英 1931年生
●長女 稲田喜久子 1925年生 学習院出身
●二女 稲田久仁子 1927年生 学習院出身
●三女 稲田富久子 1929年生 学習院出身
有馬久米子
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『有馬頼寧日記』
1919年3月13日
久米様〔久米子〕と先日お支度の事で言い合うてから何となく面白くない。
しかも私が安藤さん〔頼寧の弟〕にのみ厚くして、松田さん〔頼寧のもう一人の弟〕に薄いという事を皆が言うているとの話、また自分達も同等に取扱われるべきであるなど、いろいろ御話があった。
私は兄弟にはかなり尽くしているつもりだのに、そんな事を言われると癪に障ってもう御世話する気にならぬ。
なんぼ私に対して遠慮がないと言うてもあまりひどすぎると思うから。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は帝室会計審査局長官
1919年3月26日
※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言
久米子の嫁入費用が予算1万円にては不足なる模様にて困りおる。
兄頼寧が久米子に対して必要の物だけ品書を出せと言うゆえ、久米子は多数の物を持ち出して4千円も超過する模様にて、久米子は父伯爵に申し出て予算増額を求めんとすと言いおる。
橋爪はほとんど毎日20~30分久米子に対し自ら節約をなさしめんと思い、その趣意を久米子に説きおる。
1919年4月13日
※有馬頼寧伯爵の発言
自分も自分らを離間する疑いのある人の話ならばその辺の斟酌はなせども、自分の妹久米子が告げるゆえ〔妹が自分にチクってくるから聞き流せない〕久米子は常々両親に不平あり。
何事も久米子の耳に入り、久米子またこれを吹聴する傾ある。
1919年5月19日
※有馬伯爵家の職員有馬秀雄の発言
昨夜頼寧が父頼万邸に行き、まず久米子と話ししかる後頼万に会いたる趣なるが、頼寧の態度が変わりよほど怒りおりたるは、久米子が告げ口をなしたる結果ならんと思う。
1919年5月27日
※倉富&有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の会話
橋爪◆岩波稲子〔貞子夫人の生母〕の所に到り話をなし、
岩波は「頼寧と父頼万とを離間する人あり。これを告げん」と言いおる時に、頼寧が自分を召いに来るためそのままにて止みたり。
倉富◆岩波を告げんと欲する人は久米子のことなるべし。
橋爪◆左様なるべし。
1919年8月5日
※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言
久米子の持参金は公債証書3万円にて証書は有馬家に預り置き、利子を受け取りたる都度これを渡すつもりなりしところ、月々の経費不足なるゆえ毎月渡してくれたきむね久米子より申し来り。
稲田家の相談人堀江が来り、
「稲田の家計はわずかに当主夫婦の生計費に充つるだけにて、新夫婦の方には少しの補助もできず。昌植の収入1ヶ月70円あり。只今の住家は借賃1ヶ月60円にて、夫だけは昌植の実父佐藤昌介が補助することとなりおり。1ヶ月の費用は家賃を含みて200円となし、昌植の収入70円と佐藤家の補助60円にて130円、これに有馬の利子70円加え、残り20円を久米子の小遣いとなすむね話したり」
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1920年8月20日
※有馬頼寧伯爵の弟 松田正之男爵の発言
先日自分官を辞する時、君〔倉富〕より「官を辞したらば家計に不足を生ずることなきや」と言われ、
その時は「家計には差し支えなし」と妻が言うにつきその旨を答えおきたる所、その後毎月不足を生じ、
妻は「自己の不行届きゆえ実家より補助を受けることとすべし」と言うも、それにては有馬家の面目にも関する事と思い先日有馬家に対し補助の増額を求めおきけり。
これまでは年額600円、今年は妻が出産するゆえそのための費用を請求して400円を補助するむね通知来りおれり。
よりてその他に500円を増して総額1,500円と致したし。
全体有馬家より自分に対する態度についても了解しがたきこと少なからず。
安藤信昭〔兄〕に対しては資産として10万円を分与し家屋代として5万円を与えたるに、自分には資産は5万円にて家屋代は1万円なり。
兄弟の別あるにしてもせめて家屋代は安藤の金額ぐらい与えてもよろしかるべきはずなり。
久米子〔妹〕が結婚するについても持参金3万円を遣わし、なおその後の補助もなしおり。
頼寧は貧児救済とか貧民教育とかに金を費し新聞などもこれを称賛しおれども、弟に高等貧民ありて生活もできずと言うては兄の面目にも関することと思う。
蜂須賀より妻の出産に要する衣類・器具等はすべて遣わしくれたり。
蜂須賀より厚くしてくれるだけ、自分としては有馬家の薄遇に対する不平あり。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年1月19日
※有馬頼寧伯爵の姉 有馬禎子の発言
頼寧の行動不穏当なる。
敏四郎・久米子などは兄弟姉妹の感を有せざりし。
兄弟はみな不平を唱ゆるも、自分だけは不平を言いたる事なし。
「年々有馬家より送り来る小遣いを10年分まとめてもらいたい」と言いたるも、職員が引き受けざるゆえそのままになしたり。
久米子は嫁ぎたるとき持ち行きたる金だけにて済みおるか、その他に遣しあるや。
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1825-1860
■妻
●男子 稲田邦植 1855-1931・16代当主・初代男爵
●男子 稲田邦衛 1858年生・北海道平民平塚直静の娘平塚シュウと結婚
●女子 稲田トシ 1852年生・福岡県士族小原省三と結婚
●女子 稲田ヨウ 1860年生・酒井忠匡子爵と離婚・佐藤昌介男爵と再婚
→子は17代当主稲田昌植
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◆15代 稲田植誠 15代植乗のイトコ
1844-1865
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◆16代 稲田邦植 14代植乗の子・初代男爵
1855-1931
■妻 溝呂木ウメ 東京府平民溝呂木茂兵衛の娘
1862-1946
●養子 稲田昌植 甥・佐藤昌介の子
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◆17代 稲田昌植 2代男爵
1890-1968
■妻 稲田久米子 有馬頼万伯爵の娘・お茶の水女学校出身
1898年生
●長男 稲田植樹 1920年生 京都帝大出身
●三男 稲田植輝 1923年生 東北大学出身
●四男 稲田植英 1931年生
●長女 稲田喜久子 1925年生 学習院出身
●二女 稲田久仁子 1927年生 学習院出身
●三女 稲田富久子 1929年生 学習院出身
有馬久米子
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『有馬頼寧日記』
1919年3月13日
久米様〔久米子〕と先日お支度の事で言い合うてから何となく面白くない。
しかも私が安藤さん〔頼寧の弟〕にのみ厚くして、松田さん〔頼寧のもう一人の弟〕に薄いという事を皆が言うているとの話、また自分達も同等に取扱われるべきであるなど、いろいろ御話があった。
私は兄弟にはかなり尽くしているつもりだのに、そんな事を言われると癪に障ってもう御世話する気にならぬ。
なんぼ私に対して遠慮がないと言うてもあまりひどすぎると思うから。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は帝室会計審査局長官
1919年3月26日
※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言
久米子の嫁入費用が予算1万円にては不足なる模様にて困りおる。
兄頼寧が久米子に対して必要の物だけ品書を出せと言うゆえ、久米子は多数の物を持ち出して4千円も超過する模様にて、久米子は父伯爵に申し出て予算増額を求めんとすと言いおる。
橋爪はほとんど毎日20~30分久米子に対し自ら節約をなさしめんと思い、その趣意を久米子に説きおる。
1919年4月13日
※有馬頼寧伯爵の発言
自分も自分らを離間する疑いのある人の話ならばその辺の斟酌はなせども、自分の妹久米子が告げるゆえ〔妹が自分にチクってくるから聞き流せない〕久米子は常々両親に不平あり。
何事も久米子の耳に入り、久米子またこれを吹聴する傾ある。
1919年5月19日
※有馬伯爵家の職員有馬秀雄の発言
昨夜頼寧が父頼万邸に行き、まず久米子と話ししかる後頼万に会いたる趣なるが、頼寧の態度が変わりよほど怒りおりたるは、久米子が告げ口をなしたる結果ならんと思う。
1919年5月27日
※倉富&有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の会話
橋爪◆岩波稲子〔貞子夫人の生母〕の所に到り話をなし、
岩波は「頼寧と父頼万とを離間する人あり。これを告げん」と言いおる時に、頼寧が自分を召いに来るためそのままにて止みたり。
倉富◆岩波を告げんと欲する人は久米子のことなるべし。
橋爪◆左様なるべし。
1919年8月5日
※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言
久米子の持参金は公債証書3万円にて証書は有馬家に預り置き、利子を受け取りたる都度これを渡すつもりなりしところ、月々の経費不足なるゆえ毎月渡してくれたきむね久米子より申し来り。
稲田家の相談人堀江が来り、
「稲田の家計はわずかに当主夫婦の生計費に充つるだけにて、新夫婦の方には少しの補助もできず。昌植の収入1ヶ月70円あり。只今の住家は借賃1ヶ月60円にて、夫だけは昌植の実父佐藤昌介が補助することとなりおり。1ヶ月の費用は家賃を含みて200円となし、昌植の収入70円と佐藤家の補助60円にて130円、これに有馬の利子70円加え、残り20円を久米子の小遣いとなすむね話したり」
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1920年8月20日
※有馬頼寧伯爵の弟 松田正之男爵の発言
先日自分官を辞する時、君〔倉富〕より「官を辞したらば家計に不足を生ずることなきや」と言われ、
その時は「家計には差し支えなし」と妻が言うにつきその旨を答えおきたる所、その後毎月不足を生じ、
妻は「自己の不行届きゆえ実家より補助を受けることとすべし」と言うも、それにては有馬家の面目にも関する事と思い先日有馬家に対し補助の増額を求めおきけり。
これまでは年額600円、今年は妻が出産するゆえそのための費用を請求して400円を補助するむね通知来りおれり。
よりてその他に500円を増して総額1,500円と致したし。
全体有馬家より自分に対する態度についても了解しがたきこと少なからず。
安藤信昭〔兄〕に対しては資産として10万円を分与し家屋代として5万円を与えたるに、自分には資産は5万円にて家屋代は1万円なり。
兄弟の別あるにしてもせめて家屋代は安藤の金額ぐらい与えてもよろしかるべきはずなり。
久米子〔妹〕が結婚するについても持参金3万円を遣わし、なおその後の補助もなしおり。
頼寧は貧児救済とか貧民教育とかに金を費し新聞などもこれを称賛しおれども、弟に高等貧民ありて生活もできずと言うては兄の面目にも関することと思う。
蜂須賀より妻の出産に要する衣類・器具等はすべて遣わしくれたり。
蜂須賀より厚くしてくれるだけ、自分としては有馬家の薄遇に対する不平あり。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員
1922年1月19日
※有馬頼寧伯爵の姉 有馬禎子の発言
頼寧の行動不穏当なる。
敏四郎・久米子などは兄弟姉妹の感を有せざりし。
兄弟はみな不平を唱ゆるも、自分だけは不平を言いたる事なし。
「年々有馬家より送り来る小遣いを10年分まとめてもらいたい」と言いたるも、職員が引き受けざるゆえそのままになしたり。
久米子は嫁ぎたるとき持ち行きたる金だけにて済みおるか、その他に遣しあるや。
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