直球和館

2026年

カテゴリ: 武家華族

◆14代 稲田植乗
1825-1860


■妻


●男子 稲田邦植  1855-1931・16代当主・初代男爵
●男子 稲田邦衛  1858年生・北海道平民平塚直静の娘平塚シュウと結婚
●女子 稲田トシ  1852年生・福岡県士族小原省三と結婚
●女子 稲田ヨウ  1860年生・酒井忠匡子爵と離婚・佐藤昌介男爵と再婚
→子は17代当主稲田昌植


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◆15代 稲田植誠  15代植乗のイトコ
1844-1865


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◆16代 稲田邦植  14代植乗の子・初代男爵
1855-1931


■妻  溝呂木ウメ 東京府平民溝呂木茂兵衛の娘
1862-1946


●養子 稲田昌植  甥・佐藤昌介の子


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◆17代 稲田昌植  2代男爵
1890-1968


■妻  稲田久米子 有馬頼万伯爵の娘・お茶の水女学校出身
1898年生


●長男 稲田植樹  1920年生 京都帝大出身 
●三男 稲田植輝  1923年生 東北大学出身
●四男 稲田植英  1931年生

●長女 稲田喜久子 1925年生 学習院出身
●二女 稲田久仁子 1927年生 学習院出身
●三女 稲田富久子 1929年生 学習院出身
 



有馬久米子
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『有馬頼寧日記』

1919年3月13日
久米様〔久米子〕と先日お支度の事で言い合うてから何となく面白くない。
しかも私が安藤さん〔頼寧の弟〕にのみ厚くして、松田さん〔頼寧のもう一人の弟〕に薄いという事を皆が言うているとの話、また自分達も同等に取扱われるべきであるなど、いろいろ御話があった。
私は兄弟にはかなり尽くしているつもりだのに、そんな事を言われると癪に障ってもう御世話する気にならぬ。
なんぼ私に対して遠慮がないと言うてもあまりひどすぎると思うから。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は帝室会計審査局長官

1919年3月26日

※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言

久米子の嫁入費用が予算1万円にては不足なる模様にて困りおる。
兄頼寧が久米子に対して必要の物だけ品書を出せと言うゆえ、久米子は多数の物を持ち出して4千円も超過する模様にて、久米子は父伯爵に申し出て予算増額を求めんとすと言いおる。
橋爪はほとんど毎日20~30分久米子に対し自ら節約をなさしめんと思い、その趣意を久米子に説きおる。

1919年4月13日

※有馬頼寧伯爵の発言

自分も自分らを離間する疑いのある人の話ならばその辺の斟酌はなせども、自分の妹久米子が告げるゆえ〔妹が自分にチクってくるから聞き流せない〕久米子は常々両親に不平あり。
何事も久米子の耳に入り、久米子またこれを吹聴する傾ある。

1919年5月19日

※有馬伯爵家の職員有馬秀雄の発言

昨夜頼寧が父頼万邸に行き、まず久米子と話ししかる後頼万に会いたる趣なるが、頼寧の態度が変わりよほど怒りおりたるは、久米子が告げ口をなしたる結果ならんと思う。

1919年5月27日

※倉富&有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の会話

橋爪◆岩波稲子〔貞子夫人の生母〕の所に到り話をなし、
岩波は「頼寧と父頼万とを離間する人あり。これを告げん」と言いおる時に、頼寧が自分を召いに来るためそのままにて止みたり。
倉富◆岩波を告げんと欲する人は久米子のことなるべし。
橋爪◆左様なるべし。

1919年8月5日

※有馬伯爵家の職員橋爪慎吾の発言

久米子の持参金は公債証書3万円にて証書は有馬家に預り置き、利子を受け取りたる都度これを渡すつもりなりしところ、月々の経費不足なるゆえ毎月渡してくれたきむね久米子より申し来り。
稲田家の相談人堀江が来り、
「稲田の家計はわずかに当主夫婦の生計費に充つるだけにて、新夫婦の方には少しの補助もできず。昌植の収入1ヶ月70円あり。只今の住家は借賃1ヶ月60円にて、夫だけは昌植の実父佐藤昌介が補助することとなりおり。1ヶ月の費用は家賃を含みて200円となし、昌植の収入70円と佐藤家の補助60円にて130円、これに有馬の利子70円加え、残り20円を久米子の小遣いとなすむね話したり」
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員

1920年8月20日

※有馬頼寧伯爵の弟 松田正之男爵の発言

先日自分官を辞する時、君〔倉富〕より「官を辞したらば家計に不足を生ずることなきや」と言われ、
その時は「家計には差し支えなし」と妻が言うにつきその旨を答えおきたる所、その後毎月不足を生じ、
妻は「自己の不行届きゆえ実家より補助を受けることとすべし」と言うも、それにては有馬家の面目にも関する事と思い先日有馬家に対し補助の増額を求めおきけり。
これまでは年額600円、今年は妻が出産するゆえそのための費用を請求して400円を補助するむね通知来りおれり。
よりてその他に500円を増して総額1,500円と致したし。
全体有馬家より自分に対する態度についても了解しがたきこと少なからず。
安藤信昭〔兄〕に対しては資産として10万円を分与し家屋代として5万円を与えたるに、自分には資産は5万円にて家屋代は1万円なり。
兄弟の別あるにしてもせめて家屋代は安藤の金額ぐらい与えてもよろしかるべきはずなり。
久米子〔妹〕が結婚するについても持参金3万円を遣わし、なおその後の補助もなしおり。
頼寧は貧児救済とか貧民教育とかに金を費し新聞などもこれを称賛しおれども、弟に高等貧民ありて生活もできずと言うては兄の面目にも関することと思う。
蜂須賀より妻の出産に要する衣類・器具等はすべて遣わしくれたり。
蜂須賀より厚くしてくれるだけ、自分としては有馬家の薄遇に対する不平あり。
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『倉富勇三郎日記』枢密院議長※当時は宗秩寮職員

1922年1月19日

※有馬頼寧伯爵の姉 有馬禎子の発言

頼寧の行動不穏当なる。
敏四郎・久米子などは兄弟姉妹の感を有せざりし。
兄弟はみな不平を唱ゆるも、自分だけは不平を言いたる事なし。
「年々有馬家より送り来る小遣いを10年分まとめてもらいたい」と言いたるも、職員が引き受けざるゆえそのままになしたり。
久米子は嫁ぎたるとき持ち行きたる金だけにて済みおるか、その他に遣しあるや。
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◆12代 日置忠尚(日置帯刀) 岡山藩家老池田政徳の子・11代当主日置忠弼の養子になる
1829-1918


■妻


●養子 日置健太郎 甥・岡山藩家老池田政昭の子


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◆13代 日置健太郎 初代男爵 岡山藩家老池田政昭の子・養子になる
1854-1922


■妻  池田衣子  池田淡水の娘
1856年生


●長男 日置尚   1889-1911
●二男 日置徳太郎 1892-1945 2代男爵

●長女
●二女 日置安子  1880年生  結婚3回
●三女 日置重子  1884-1964 農務官僚右手寛太郎と結婚離婚


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◆14代 日置徳太郎 2代男爵
1892-1945 


■妻  河本重野   美作勝山銀行副頭取河本直一郎の娘
1900年生


●長男 日置忠俊  1926年生
●長女 日置美和子 1927年生


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■妻 日置安子 1880年生


■1番目の夫 八代田氏  素封家・離婚


■2番目の夫 牛奥劫三  日本鉸釘社長・波多野との不倫で離婚


■3番目の夫 波多野春房 太陽通信社社長波多野烏峯・波多野の不倫で離婚

*1911年安子は夫波多野・父健太郎と共にイスラム教に改宗したことがある


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■夫 波多野春房 1885年生 太陽通信社社長波多野烏峯


■1番目の妻 日置安子  1880年生  日置健太郎男爵の娘 1908年結婚・1913年離婚


■2番目の妻 波多野秋子 1894-1923 中央公論編集者 1913年略奪婚・1923年有島武郎と心中


■3番目の妻 大隈レイコ 新橋芸者 秋子が死んで49日に再婚したが、1925年までに死亡


★事実婚   静枝

◆初代男爵 伊江朝永 伊江朝直の子
1841年生


■妻  牧志オト  沖縄県士族牧志全の妹
1842年生


●長男 伊江朝真  1858年生 2代男爵
●男子 伊江朝英  1880年生
●男子 伊江朝康  1897年生 沖縄県平民大城朝滓の養子になる→大城朝康

●女子 伊江カメ  1867年生・沖縄県士族喜屋武朝と結婚
●女子 伊江カコト 1870年生・沖縄県士族真壁朝重と結婚
●女子 伊江ナエ  1872年生・沖縄県士族宜野湾朝と結婚
●女子 伊江ツル  1873年生・沖縄県士族豊見朝凞と結婚
●女子 伊江マツ  1875年生・沖縄県士族美里安度と結婚
●女子 伊江マカト 1882年生


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◆2代男爵 伊江朝真 初代男爵朝永の子
1858年生


■妻  具志頭マカト 沖縄県士族具志頭朝敕の娘
1857年生


●長男 伊江朝助 1881年生 3代男爵
●男子 伊江朝睦 1890年生 今帰仁朝英男爵の妹今帰仁敏子と結婚
●男子 伊江朝興 1895年生
●男子 伊江朝輔 1898年生

●長女 伊江敏子 1901年生 東京府平民田名真章と結婚
●二女 伊江善子 1906年生 沖縄県平民具志頭朝清と結婚


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◆3代男爵 伊江朝助 2代朝真の子
1881-1957


■1番目の妻 尚ツル  尚典侯爵の娘
1883年生


■2番目の妻 尚房子  尚琳男爵の姉
1889年生


■3番目の妻 加来キチ 印刷業加来金升の妹
1891年生


●長男 伊江朝健 1912年生

●長女 伊江顕子 1908年生
●二女 伊江田鶴 1910年生
●三女 伊江正子 1914年生




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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1931年12月6日
警視総監高橋守雄来訪。
日本第一新聞に貴族院議員井上清純男爵・貴族院議員伊江朝助男爵が宅野田夫〔昭和天皇の側近攻撃を続けた右翼画家〕と共に執筆すとて、心配の点を述べらる。

1931年12月7日
宗秩寮総裁仙石政敬を訪う。
日本第一新聞に対し、井上清純男爵・伊江朝助男爵関係のことを述べ、参考に供す。

1931年12月9日
仙石総裁を訪う。
日本第一新聞に、伊江男爵が顧問として記載せられたる事件につき報告す。
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◆11代 毛利元統 吉敷毛利房謙の子・10代毛利房顕の養子になる
1818-1887


■妻  毛利政子  厚狭毛利房晁の娘
1812-1862


●男子 毛利祥久  13代当主

●女子 毛利千才子 婿養子を迎え12代当主とする


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◆12代 毛利親信 村上惟庸の子
1849-1885


■妻  毛利千才子 11代元統の娘
1855-1886


●男子 毛利忠三  吉敷毛利重輔の娘毛利カツヨの婿養子になり毛利忠三男爵となる


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◆13代 毛利祥久 11代元統の子
1860-1941


■妻  毛利ユリ  阿川毛利親彦の娘
1870-1930


●男子 毛利稔久
●男子 毛利彝亮  木梨彝亮
●男子 毛利祥三  天野祥三
●男子 毛利重雄  14代当主
●男子 毛利正彦  古川正彦
●男子 毛利勇夫

●女子 毛利須賀子 山田保助と結婚
●女子 毛利英子  衆議院議員西村礼作の子西村圭太郎と結婚


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◆14代 毛利重雄
1901-1973


■妻  四条華子  四条隆英男爵の娘
1905-1983


●長男

◆初代男爵 小原適 大垣藩士上田能重の子・婿養子になる
1842-1910


■妻  小原テイ  先代大垣藩士小原鉄心の娘・イトコ結婚
1853年生


●長男 小原駩吉  1871年生 2代男爵 
●男子 小原保三  1883年生

●長女 小原鉄子  1868年生 満鉄総裁野村龍太郎と結婚


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◆2代男爵 小原駩吉 初代男爵小原適の子
1871-1932


■妻  丹羽英子  宮内官僚丹羽龍之助の娘
1880年生


●長男 小原謙太郎 1900年生 3代男爵
●二男 小原譲次郎 1905年生 長尾譲次郎
カネボウ社長長尾良吉の娘長尾美代の婿養子になる
●三男 小原恭三郎 1907年生 田村恭三郎
太陽レーヨン社長田村駒治郎の娘田村房子の婿養子になる

●長女 小原百合子 1899年生 学習院出身 東郷彪侯爵と結婚
●二女 小原花子  1902年生 商工大臣中橋徳五郎の子中橋武一と結婚
●三女 小原園子  1903年生 三井財閥重役福井菊三郎長男福井孝一と結婚
●四女 小原菊枝  1904年生 堀越商会社長堀越善重郎の子堀越創と結婚


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『侍従次長 河井弥八日記』参議院議長※当時は侍従次長&皇后宮大夫

1928年12月29日
小原駩吉男爵来訪。
去12月3日新宿御苑における、ゴルフ試合の時の行動につき釈明す。
予は小原男爵の行動に痛憤する者ある旨を告ぐ。
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◆3代男爵 小原謙太郎 2代男爵小原駩吉の子
1900-1990


■妻  大倉松代 TOTO社長大倉和親の娘 聖心女学院出身
1909年生


●長男
●二男
●長女

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